桜雲桜人、冤鬼零桜 二幕



願い虚しく、それは現実のものとなってしまった。

巫女が亡くなった事はすぐに村人たちにも知れ渡った。
巫女の最期を物影で偶然見ていた村人によって噂を広められた為だ。
左近の行動を不審に思った村人が後を付けて来ていたのだ。
何故この日に限り、と左近は己の行動を悔やんだ。
いつもならば絶対に気付かれないよう撒いていたのだが、気が急いていたのだろう。
全く気付けなかった。
しかし左近は何とか三成を守ろうと御社には誰も近付かないように命じた。
このような事態になってしまい、村は混乱寸前となった。
今まで心のより所としていた巫女の突然の死は到底受け入れられるものではない。
早く体制を立て直さなければと、左近は奮闘した。
だが巫女の予言通り、村は近年に無い大凶作に見舞われてしまった。
人々は巫女が亡くなった為に櫻守の怒りに触れたのだと実しやかに噂を始める。
そんなはずはないと左近は混乱を治める為に説得をして回ったのだが、そこへ現れたのが隣りの国からやってきたという祈祷師だった。
その男は占いだと言い、村人たちに次々とありもしない話を吹き込んでいった。
村の者達はその男の見せる不思議なまじないを信じ、傾倒しつつある。
その中には、三成の事を指し示すものもあった。
この村には邪気が溢れている、その原因はただ一つ。
巫女の子だという三成という青年の存在を櫻守が疎んでいる為だ、と。
その言葉に左近は愕然とした。
櫻守は確かに三成を愛している。
それはこの目で確かに見た光景で巫女が亡き後、櫻守は何度も何度も頭を下げ左近に願ったのだ。
どうかこの子を守ってくれ、と。
巫女と添う運命にある櫻守は直後、巫女の後を追うように消滅した。
その最期まで三成を思ったままに櫻守は逝った。
それが真実だというのに、村人達は皆、似非祈祷師の話を信じ込んでしまっている。
恐らくはこの村のある山々一帯を手中に収めようと予てから企んでいた隣村が送った刺客なのだろうと左近は冷静に村人への説得を試みた。
しかし、幾度も御社へ通っているところを目撃されてしまっていた左近の言葉になど、誰も耳を貸そうとはしなかった。
皆躍起になり、三成を殺そうと凶器を振りかざし探し回っている。
連れて逃げようにも、唯一の道は村人たちによって封鎖されていてそれも叶わない。
彼を救うためだと思っていた行為が、今逆に追い詰めてしまっている。
左近ははせめて櫻守や巫女との約束を守ろうと、三成を森の中にある廃墟にかくまった。

「左近すまない……本当に……すまない。俺のせいでこんな……お前の手を煩わせ……」
「何言ってるんですか。俺の方こそ力が足りなくてこんな事になって……申し訳ありません」
「何故お前が謝るのだ!俺は……本当に感謝してるのだ。俺を助けてくれて……父母に代わり俺を……守ってくれて」
「お役に立てているのなら、左近はそれだけで十分です。気に病まないで下さい」
ふと漏らす左近の笑みだけが今の三成の救いだった。
しかしその顔は村人と争った時にやられた傷だらけで痛々しい。
「顔……」
「何です?ああ、傷ですか?大した事ではありませんよ、この程度」
三成は左近の顔が好きだった。
己のように女性的で軟弱な造りではない男らしい顔も、それに似合わない童のような笑みも、からかう時に意地悪に歪められる唇も。
それが傷つけられる事は悲しかった。
その原因が自分である事が悔しく、許せなかった。
「左近は……その、両親に……頼まれたから……」
「何言ってるんですか。誰に頼まれたからってこんな事できませんよ。ただ三成さんを守りたくってやってる事なんです」
三成が漏らす不安げな言葉を遮りきっぱりと否定すると左近はそっと手を伸ばし、悲しげに歪む表情を和らげるよう頬を撫でた。
「貴方が無事ならば、それでいいんです。左近の傷など気にしないで―――……」
「じっとしていろ」
「えっ」
三成は左近の顔を両手で包み込むと顔を寄せ傷に向けてふっと息を吹きつける。
肌を撫でる風に肩を竦め、その唐突な行動に酷く驚かされた。
「……何なんです?」
「見ろ」
三成の懐から出されたのは巫女の持ち物であった小さな呪術用の鏡で、そこに映る左近の顔からはすっかりと傷が消えていた。
「凄いじゃないですか。これも桜の神様の力ですか?」
「それ程すごいものではない。両親はあの通り強い力を持っていたが俺はこの程度だ」
「この程度でも凄いですよ。俺達には出来ない芸当ですからね。心強いです」
左近の言葉に三成は驚いたように顔を上げた。
「お、俺はお前に役立っているか?俺はお前を守れているか?俺はお前の荷物になるだけでは嫌だ。俺もお前を守りたいのだ」
「……―――三成さん」
互いが互いの命の為に存在するのだと感じていた。
これからずっと一緒にいるものだと、根拠もなく思ったのは恐らく相手を愛しむ心がそうさせたのだろう。
だからこそ、今は闘わなければならないというのに、村人の関心はすっかりあの祈祷師に向いてしまっている。
何とか皆の目を覚まさなければならないのだが、その方法が思いつかない。
「くそっ…」
何て無力なんだろうと左近は唇を噛み締め、村へ帰ろうと廃墟を出たその時だった。
「若頭…」
はっと顔を上げるとそこには村人たち数人がいた。
「今のは櫻の子ではないのですかい?」
「違う」
「だったらこの中を見せていただきましょうか」
「やめろ!!」
左近は中に入ろうとする村人達を止めようとした、その時だった。
左近に替わり、すっかりと村の中心となっていた似非祈祷師がとんでもない事を言い出した。
「その者は櫻の子に心を奪われ支配された鬼じゃ!早急に処刑せねばこの村に更なる災厄が降りかかる事になるぞ!!」
何を言い出すのだと咎める暇も無く、左近は村人達の手によって捕らえられてしまった。
殺せ、殺せという声が響く中、左近は必死にその手を逃れ三成を助けようとする。
「三成さん!!逃げるんだ早く!!あ―――…」
左近の声に三成が廃墟の出入り口から顔を出した。
正にその瞬間、三成が目にしたのは鮮血に塗れた左近の無残な姿だった。
「―――……なん……」
村人達の手にしている鍬や鍬には左近のものと思われる血が滴り、今度は三成殺そうと目を光らせている。
だが三成には最早左近の事しか目に入っていない。
「左近!!!」
村人達を撥ね退け、左近の元に寄ったが、息はあるものの動く事は出来ないのか苦しげな浅い呼吸を繰り返すだけで三成の声に応える事はない。
「おい左近!!何故……っ……目を開けろ!!俺を一人にするな左近!!」
「お前のせいじゃ…全部お前が悪いのじゃ……お前さえ生まれてこなければこんなことにはならなかったんじゃ!!」
村人の怨みの声も三成の耳には届いていない。
ただ愛しい者を殺されてしまったというこの現実だけが、三成の中に凄まじい怒りを生んだ。
その時、三成に向け一斉に凶器が振り下ろされ致命傷ともなりえる傷が身体中を襲った。
地面には血がしたたり、これで退治出来たと村人達が安堵したのも束の間だった。
「…………許さない―――貴様ら……絶対に……」
すでに事切れてもおかしくないはずだが、感情の高ぶりが三成の姿を鬼に変えた。
それは櫻の力。
櫻守の巫女と櫻守の血を引く三成の背負った哀しい力が今、目覚めてしまった。
もう誰にも止める事はできない。
鬼は人々の血を糧に成長し、そしてまた己の身をも滅ぼしてしまうもの。
左近を抱えて振り返る三成の髪は深紅に、また睨みつける眼球は血の様に紅く染まり、噛み締める唇には鋭い犬歯が牙の如く剥いている。
村に古来から伝わる鬼の姿、正にそれだった。
それまで威勢良く凶器を振りかざしていた村人達は誰もが恐れをなして次々と村へ逃げ帰っていく。
だが三成はそれを許さなかった。
疾風が如く近付き、その長く鋭い爪で次々と喉元を掻き切っていった。
断末魔の悲鳴が木霊する中、森にある桜の木が一斉に咲き乱れ始める。
三成の動きに呼応する様に。
頭上は薄紅の世界、足元は血の海。
そんな地獄絵の中で今回の主犯である祈祷師は腰をぬかして泡を吹いている。
『……その悪行の数多……地獄で悔いるがいい』
地の底から這い出たような重低音で吐き捨てると、三成は首を締め上げる。
だが血に染まる手首を掴む者がいた。
「みつ……なりさ……」
意識を取り戻した左近は瀕死の体を押し、三成の元へと駆けつけたのだ。
血の海の中で怒りに任せ次々と人に手をかける姿を見ていられず、止めに入った。
だが三成はそれを受け入れられないと左近の腕を振り払い暴れた。
『離せ左近!!俺はこやつらを許せん……!!俺がこの手で!!』
鋭く尖った爪は左近の肌を抉り、腕や顔に傷を残す。
理性を失った三成は己の感情を制御できず、左近の身体を突き飛ばした。
だが左近は痛みを堪え、よろよろと緩慢な動きで体を起こすと鬼と化した三成を優しく抱き寄せる。
「あんたに鬼の姿は似合いませんよ」
「さこ……ん?」
「さあ、後は俺に任せて……ゆっくりと眠ってください」
このような事態に陥ってよりこちら、ひと時も安らげる時などなかっただろうと頭を撫で、腕に力を込めれば、三成はゆっくりと目を閉じた。
異形の姿はまた元の美しい青年に戻り、代わりに左近の姿がみるみる変幻していく。
先刻の三成と同じく歯や爪が鋭く尖り、だが左近は赤ではなく漆黒の闇の衣を纏ったようにどす黒い空気を醸し出していた。
その様は三成のそれと比べ物にならない程に禍々しいものだった。
左近は事切れた三成を腕に抱いたまま、気を失った祈祷師に近付き、首に手をかけた。
一瞬でその命は消えた。
血に染まった指先を見ても、首が折れ無残に転げる醜い屍骸を見ても、最早何も感じる事はできない。
ただ腕の中で眠る愛しい者が目を覚まさない事が、哀しくて、悔しくて、淋しかった。
「三成さん……ねえ三成さん……貴方の父上と母上の元へと参りましょうか。もちろん、左近もお供いたしますよ」
いつの間にか、村人達を追ってお社の近くまで戻ってきてしまっていたらしい。
左近は桜の御神木の根元に三成を横たわらせると、持てる力の全てを使い、村人全てを惨殺した。
老いも若きも男も女も。
左近自らが手を下すまでもなく、桜の花びらが鋭い刃となり村人達の喉元を掻き切っていく。
何もかもが許せなかった。
三成を追い詰めた彼らも、そんな彼を守りきれなかった不甲斐ない己も。
そんな思いが風を刃に変え、全てを無に帰した。
不気味な程静寂に包まれた森は、桜だけが淡く光を放っている。
左近は三成を膝の上で抱き、落ちていた鎌を手に取ると首筋にあてがった。
力を込めようとした途端、突風が吹き荒れ耐え切れなくなった左近は鎌を手放し三成を守るように抱き締めた。
「………何、だ?」
立ち上がり辺りを見渡すが、ただ風が吹く音しか聞こえない。
村にはもう誰も残っていないはずだ。
三成と二人で皆殺しにしてしまったため、血の海に浮かぶ村人の体は皆微動だにしない。
ただの骸と化していた。
だが確かに感じる気配の主を必死に探す。
『左近』
風に乗ってする優しい声に顔を上げた。
「………櫻守様?」
三成の亡骸の前に現れたのは、彼の亡き母と父だった。
「何故……!」
一度に色々な事が起こりすぎて頭は混乱しきっている。
言葉を上手く紡げない左近を見ると、巫女は悲しげに微笑んだ。
『三成の事で……貴方にも辛い思いをさせてしまいしたね。申し訳ありません』
「辛いなんて思っちゃいませんよ。俺はやりたいようにやって……このざまです。情けない事です……」
結局愛しい者をこの手で守れなかった。
左近はそれを言葉に出来ず、二人から目を逸らすように俯いた。
だが巫女も櫻守もその言葉を強く否定した。
『左近、貴方が望んでいるのは死ではないはず……さぁ目を閉じて…本当に貴方が望んでいる事は…何?』
櫻守と巫女は三成の亡骸に手をかざすと、強く念じた。
三成の体から、巫女の指先から、櫻守の掌から薄紅色の光が迸ると同時に三成の躯はゆっくりと動き出した。
『……本当の望みはこの子と共に生きる事…そうだな?』
驚いて言葉の出ない左近は櫻守の言葉にただ頷く事しかできない。
目を覚ましたばかりの三成だったが、人々の血に染まった左近の姿を見てすぐに何が起こったのかを察知した。
巫女は慈しむように三成の頬を撫でた後、ゆっくりと左近の方を振り返った。
『…愚かだと思いますか?人の子に生まれながら神に恋心を抱こうなど…畏れ多い事を……』
淋しげなその表情に、左近は静かに首を横に振る。
「いえ…誰かを想う気持ちに人も神も……鬼もありませんよ」
『これからも…この子を守ってくれますか?』
「ええ。何があっても、この魂が朽ち果てるまで側にいて守ってみせましょう?」
力強いその言葉に二人は安心した様に微笑んだ。
だが当の本人は渋い顔を隠さない。
「左近……その言葉、いずれ後悔する事となるぞ」
「そうかもしれない…が、俺はもう決めましたよ。あんたに付いて行くとね。
あんたのような無謀で、無茶ばかりする人がどのようにこの先を生きていくのか見届けましょう」
惰性や同情でない、真っ直ぐな言葉に三成の心も決まった。
「そうか……ならば共に来い、左近。俺の側を離れるなよ」
それは途方も無い年月になる約束。
だが反故される事なく完遂されるだろう。

櫻守は、三成の魂を御神木に宿した事により自らの力は尽き果ててしまった。
巫女もまた、その力の全てを左近に託した。
左近はその力を使い、この先千年二千年と三成を守るべく人としての生を捨て、鬼の姿となった。


三成の魂が宿った櫻は、翌年より真っ白な櫻を咲かせた。
その清浄な魂を象徴するように、美しい花を。
その傍らには、黒髪紅眼の鬼が櫻の樹を守るようにいつも寄り添っている。
共鳴するように寄り添う魂は何があっても離れる事はない。
二人の魂が宿る桜は以後千年に渡りその地の守役として存在し続けたのだった。


【三章へ続く】

 

go page top