小西殿の言葉は船場言葉と摂津弁混じった古代大阪弁って感じ。
カナリアと花嫁 9
重苦しい話を聞き、左近は暫く何も声にする事が出来なかった。
主の事を思えばこれから如何にして仕えれば良いのか、彼にこれ以上苦しい思いをさせないようにしてやりたいと、何か良い考えが浮かんでこないかと真剣に考え込む。
そんな暗くなった空気を割くように、明るく大きな喋り声が二人の耳に届いた。
この屋敷の者はあのような大声は出さない。
主が騒がしい事を嫌うからだ。
ならば誰か来客だろうかと腰を浮かせようとする左近の前で大谷が大きく溜息を吐いた。
それと同時に廊下と座敷を遮る襖が開く。
「やれやれ、賑やかな事だね……まったく、他所の家では大人しくしないかい―――弥九郎」
「何水臭い事言うてますんー他所や言うたかてさきっさん家でおまんがな。我がの家も同然だっせ」
弥九郎と呼ばれた男は言葉通り無遠慮にずかずかと部屋に入ってくる。
勝手知ったる様で座布団をしまってある押入れを開けると積み上がった座布団から一枚を取り出し大谷の隣に置いて腰を下ろした。
「いやーしばらく大坂離れとってんけど、やっぱり暑おまんなぁこっちは。着いて早々暑気にあてられましたわ」
喋る勢いに圧倒され、言葉を失い苦笑を浮かべたまま固まった左近を見て大谷が男の言葉を制した。
佐吉、と大谷と同じく幼名で呼ぶのだから幼馴染であろう事は分かる。
男にしては派手な出で立ちは近頃大坂の商人達がよく身につけているような物で、喋り方といい船場の商人だろうかとあたりを付ける。
その左近の見立ては微妙にずれ、微妙に当たっていた。
「騒がしくしてすまないね、島殿。こやつは小西行長といって、大殿のところに出入りしてる商家の倅だよ。実家は堺の薬種商で今は船場でも色々と怪しい商売をしているようだがね」
「怪しいて失礼やなあ紀之介はん。なかぼんなんか家継ぐ事もないさかいなぁ…わたいはわたいで南蛮渡来のもん細々売ってるだけやん。あ、どうもお初にお目にかかります、小西行長でごわす。以後よろしゅうお頼んもうしま」
大谷に対する軽いやり取りとは対照的に、深々と頭を下げられ左近は慌てて姿勢を正した。
「は、ご丁寧に痛み入ります。島左近と申します」
彼らは幼名で呼び合う仲である事からも分かるように、やはり幼馴染であった。
皆秀吉に才を見出され、幼い頃から一緒にいたらしい。
恭しく差し出される三成への土産の品を丁寧に受け取り、左近はもう一礼する。
「せやけどあの佐吉さんの嫁はんやて、どんな人なんや思たけど……」
顔を上げたところをまじまじと見つめられ若干居心地が悪いと左近は大谷に目をやり助けを求めるが、彼がそれを取り合うはずもなく、小西の不躾な視線は止まなかった。
だが次の瞬間にっこりと笑顔を見せられ毒気が抜かれる。
鋭さばかりの美貌を誇る主とは対照的な人懐っこさが全面に出たいい表情をする御仁だと、不思議と不躾な態度も気にならない。
良くも悪くも、商人らしい、と言うべきだろう。
「ええ人かどうかはまだ解らんけど、人のあしらいの上手そうなええ人相でおますなあ。腹の底の見えん、商人に向いてそうや」
「は……はあ……そりゃどうも……」
やはり彼も主の数少ない友人の一人で、左近の正体を知っていた。
それに対して特に何かを言う事はなく、ただ左近を客観的に評した。
あまり褒められた気分ではないが、正しくもある。
それに、だからこそ、友の伴侶としては及第点だと小西は笑った。
「まあ……あの御仁の側におる言うたら何かと大変や思いますよって、わたいに出来る事ごわしたら何なりと言うておくんなはれ。なんぼでも力んなりますよってに」
「これはこれは……お気遣いありがとうございます」
難攻不落の城を落とすより遥かに難しい主の扱いに長けた者が助言をくれるのであれば、これ程までに心強い事はない。
頼みの綱である大谷は相変わらず左近に対してはあまり協力的でないし、ねねも忙しい為にそうそう頼る訳にもいかない。
このように気安い態度で接してくれる者ならばあるいは、と思ったが、やはり相手はあの主の友人であり、一筋縄では行かないようだった。
「堅苦しい話はこの辺にしときまひょ。今日はええ商品持ってきましたんやで。ちょっと見ておくんなはれ」
唐突に小西は商人の顔となり、持っていた荷物を広げ、懐から算盤を取り出して左近相手に商いを始める。
戸惑うばかりで固まってしまった左近を見て、見かねた大谷が手を差し出した。
「弥九郎……お前さん一体何をしに来たんだい。大陸土産を渡しに来たのだろう?それも気前良くやったらどうだい?」
「何言うてまんねん紀之介はん。それはそれ、これはこれだす。こっちかて生活かかってますんや」
目の前に広げられる煌びやかな品々に目を奪われるが、左近は全てを丁重に断った。
本人がはっりきと言ったわけではないが、主の普段は至って質素で派手なもの良しとしていないようだからだ。
何もかもが派手な秀吉に育てられたとは俄かに信じ難い程に倹約を徹底している。
そんな主が不在のうちにこのような買い物をするわけにはいかないだろう。
左近がその旨を伝えると大谷はゆるく目を細めた。
「やはり島殿にあれを任せて正解だったようだね」
「え?」
表情がまるで読めず、呆然とする左近を尻目に大谷は腰を上げた。
「弥九郎。花嫁殿はどうやらあれには過ぎたる者のようだ」
帰ろうと促され、小西は渋々と荷物を片付け始める。
だが広げた荷物の中から一つ、左近に手渡す。
「せや……これ、佐吉さんに渡しといておくんなはれ」
「は?簪……ですか」
「こない暑い時分やいうのに暑苦しい頭してはりますやろ。佐吉さん暑いの苦手やよってに、これで纏めてやったらよろし。ちょっとは涼しなるやろて」
まさかあの朴念仁を絵に描いたような主が女性にこれを贈るのだろうかと邪推したが、そうではないらしい。
この季節になると途端に覇気を失くす友人への、小西からの心遣いだった。
「承知いたしました」
左近はそれを受け取ると、丁寧に懐紙に巻いた。
大陸土産だというその品は一見飾り気がないようだが、目を凝らせば細かい細工が入っている事が解る。
先刻は吝嗇を示すような態度ではあったが、これは元々主への贈り物だったのだろう。
もしかすると試されたのかもしれないなと左近は顎を摩った。
それにしても大谷といい小西といい、主に対して少し過保護過ぎやしないかと、今度はこめかみを掻いた。
ねねもその傾向にある。
こんな事を言っては間違いなく主の機嫌を損ねてしまうだろうが、皆彼に対して童子のような思いを抱いているのだろう。
三成は驚く程頭が切れる反面、人として未熟な面が時折覗くのだ。
左近もそれは出会って間もない頃から察知していた。
故に放っておけないという気持ちも必然として強くなっていった。
やはり三成の帰宅は翌日となった。
疲弊しての帰りとなるかと思ったが、存外三成は元気だった。
むしろ機嫌が良い風にさえ見える。
常が平坦か、不機嫌である主には珍しいと思い、左近はそれとなくその原因を探った。
すると懐かしい名が三成の口から出た。
「此度の仕事は幸村と兼続と共に成す事となったのだ。二人の事はお前も知っているであろう?」
帰ったばかりだというのに休む間もなく執務室で仕事をこなす三成に、少しは休めと苦言を呈したかったが折角の上機嫌を損なうのは惜しい。
故に左近は三成に手を貸し、早く仕事を終わらせる事にした。
そしていつもならば黙々と仕事をこなす主が饒舌に語る姿を珍しく思う。
「ええ、まあ。前に会ったのは随分昔の事なんでね、二人が左近を覚えているかは分かりませんが」
「あの者達が一度会うた者を忘れるような不義者と思うな」
左近は羽柴の客員として迎えられるより以前、幸村の主家である武田に一時身を寄せていた事があった。
兼続はその武田の商売敵とも言える上杉に出仕している為、よく顔を合わせていた。
だがその頃はまだ幸村も兼続も幼かった為、左近はああ言ったのだが気難しい主はそれを不服と口を尖らせる。
その様は真剣に怒っているというより子供が拗ねているようで、先程の態度と合わせて思うに二人はとても仲の良い友人なのだろう。
そしてその事を尋ねれば三成は隠しきれない照れを厳しい言葉で誤魔化した。
「フン、あいつらは日頃から俺に口うるさく言ってくるだけなのだよ」
「そうやってきつい態度を取る殿に口うるさく言えるなんて、やっぱり仲がよろしいんじゃないですか」
「なっ……いや……」
得難き知友だ、と俯きぼそぼそと話す三成に、何故か胸に萌る物があるなと弛む頬が治まらない。
左近は慌てて一つ咳払いでそれを誤魔化し、話を元に戻した。
「いや、そうですか。嬉しいですよ。お二人が根無し草の左近を覚えておいでとはね」
「二人ともよう覚えておったぞ。近くこちらへとやって来る故、会うのを楽しみにしていろ」
左近が二人に最後に会ってから既に十年は過ぎている。
あの頃はほんの子供であったが今はさぞや立派な青年となっている事だろうと思いを馳せていると、三成は何かを思い出したように手にしていた扇子で掌を叩いた。
「そうだ。俺の留守中に弥九郎と紀之介が訪ねてきたそうだな」
「ああ、そうでした。小西様より殿に預かり物が……」
会って早々に三成に渡すつもりでいたのだが、何だかんだと話し込んでしまい機会を逃してしまっていた。
左近は袂から包みを取り出すと、それを三成に差し出す。
怒るだろうな、と思ってはいたが、包みを開けた主は案の定眉を顰める。
「何だこれは……」
「簪ですよ」
「そんな事は分かっている!何故弥九郎がこれを俺にと言ったかが問題なのだよ!」
頭の良い三成はこの品一つに対して様々な可能性を思案したのだが、そのどれもが碌な事ではないと瞬時に察知したのだ。
使い道を聞けば最も怒るであろう答えを左近は躊躇わず口にする。
「親しき友へのご進物ですよ。この暑い時分です。殿が少しでも涼しく過ごせるようにと小西様がお気遣い下さったのですよ」
「し、しかしこれは女子のするものではないか」
常日頃より女子の如きと揶揄されがちな容姿の三成は、自らそちらへ近付くような真似はしたくないと端正な顔をこれ以上ないほどに歪めた。
「これをしたとて、誰も笑いやしませんよ。それに外にして行けとも言ってはおりません。このようにお一人で執務なさる時に髪が邪魔になる時もありましょう」
左近の尤もな言い分に漸く三成も納得がいったのか、まだ渋い表情はしてはいるものの、手を伸ばし簪を受け取った。
「では早速小西様に礼状を送りましょうか」
「いや、その必要はない。弥九郎はそれを厭う。そのような形ばかりの紙切れを送るぐらいなら何か買えという奴でな……次に来た時何か一つ二つ勧める品を買ってやってくれ」
「御意に」
小西に会う前に三成の言葉だけを聞いていればそういう訳にもいくまいと、命に背き主の名代として書状を送っていたかもしれない。
だが昨日の小西の様子を目の当たりにしていた左近は三成の言い分に従った。
「左近……その、俺の居ぬ間にあいつの相手をさせてすまなかったな。喧しかったであろう?」
手にした扇子を耳に翳し、本当に申し訳なさそうにする三成の様子に左近は大仰に手を振り否定した。
「そのようなお言葉、左近には過分にございます。なかなかに楽しい御仁でらっしゃる故話も弾みましたよ」
「いやしかし……煩い上に言葉も解り難かろう?あいつの話は適当に聞き流せばよい」
確かに小西の言葉はこの辺りでは聞き慣れない言葉も多いが左近にはそれが難でない理由があった。
それ故三成のしおれた様子が居た堪れない。
左近は何でもないのだと安心させるようなるべく軽い調子で口を開いた。
「ご心配なく、殿。左近は若い頃船場の商家で用心棒をしていたんです。その頃に商いのいろはを教わりしてね、今に繋がっているのですよ」
「そうだったのか?」
「ええ。ですから小西様の言葉もだいたいは理解出来ます」
話せと言われれば無理ですが、と戯けた調子で言えば漸く三成から僅かに笑みが生まれた。
「そうか……お前がここへ来るより以前何をしていたかなど何も知らなかったからな……幸村達と旧知であるという事も、あいつらから聞くまで知らなかった」
「それは左近とて同じ事でしょう。殿に大谷殿以外に仲のよろしい方がいるなど知りませんでした」
「フン、俺とて友人の一人や二人いる」
拗ねた様子を見せる主に思わず吹き出しそうになる。
だがこれ以上機嫌を損ねられては後が怖いと左近は寸前で堪えた。
この態度からして自身が大勢に嫌われている事を知っているのだろう。
しかし数少ない友は皆三成を心から慕っているように思える。
頭数ばかりを揃え、中身のない間柄を友と呼び、互いに媚び諂うか利用し合う輩が多い今の世で、三成は珍しく掛け値なしに信用出来る人物と言える。
深きを知れば知る程に面白く、魅力的な人だと左近は改めて噛み締めた。
【10へ続く】