やっとこさ義トリオ揃った。
カナリアと花嫁 10
その機会は存外早くにやってきた。
幸村と兼続は揃って京へ上った後、三成の住む町へとやってきた。
雪国に住む二人だったが油照りの京で過ごしてきたというのに快活さは失われていない。
むしろ、と左近は床に伏せる主を見下ろした。
「何だ三成、暑気あたりとはだらしがないな!」
「兼続殿、三成殿はお辛いのですからそのように言っては……三成殿、桃を持って参りました。よく冷やして召し上がって下さい。体が冷え少しは楽になると思いますよ」
差し出される程よい色に熟れた桃は甘酸っぱい香りを放ち、暑気に当たりぐったりとした三成の鼻をくすぐる。
少し顔を緩めたがすぐに眉を顰め、幸村から目を逸らし真っ直ぐに天井を見てしまった。
「……気遣いなど無用だ、幸村。この程度……」
「いけません、そんな白い顔色で……お忙しいからとご無理をなさっているのでは?こう暑くては体もついてきますまい。今は左近殿もおられるのです。少しゆっくりとされてはいかがですか?」
こんな風に言っては絶対に主の機嫌は悪くなるぞ、と左近は冷やりとしたが三成は少し拗ねた様子は見せたが顎を引き小さく頷いた。
珍しい事もあるものだと左近は思わず目を見開いた。
それを目敏く見ていた兼続が笑い声を上げる。
「左近、三成は幸村の言う事ならば素直に聞くのだ。このじゃじゃ馬が手に余ればこいつを頼ればいい」
「じゃじゃ馬とは聞き捨てならんな兼続。お前の方がよっぽどの暴れ馬であろう」
「三成殿、いきなり起き上がってはなりません」
からかう兼続に言い返し、いきなり起き上がろうとする三成の肩を支える為幸村が腕を伸ばす。
顔色の冴えない三成はますます白い顔となり、手で額を押さえ、くらりと前のめりになってしまった。
丁度幸村が伸ばした腕が支えとなり、倒れる事はなかったが、心痛する幸村はゆっくりと褥に寝かしつける。
「どうか無理をなさらないで下さい」
気遣う言葉と共に掛け布団をそっと掛けられ、三成は何も答えなかったが、この態度が珍しいのだ。
このようなしおらしい態度など、左近や他の者には絶対に見せない。
そもそもこうして大人しく寝ている事もないはずだ。
事実左近はこの床に連れてくるまでに相当苦労をした。
大丈夫だと強がる顔は青く、とてもそうは見えない。
だがそれを素直に聞くような主ではなく、結局倒れるまで体を酷使する主を止める事は出来なかった。
押しかけ女房の分際ではあるがもう少し聞く耳を持ってもらえればと思わずといった調子で溜息が漏れてしまった。
「どうした左近。随分大きな溜息だな」
「兼続さん。厠ですかい?」
「いや、五月蝿いから出ていけと三成に追い出されたのだ。厠はついでだ」
桃を冷やしてくると部屋を出た左近は真っ直ぐに庭の井戸へと向かい、桶に溜めた水に桃を浸けるとしばらくその場で佇んでいた。
そこへやってきた兼続に溜息を聞かれ些か焦ったが、流石にその理由は解るまいと思っていた。
だが兼続もまた大谷と同じように三成の事をよく知っている。
左近の心中もあっさりと見破ってしまった。
「流石の左近も三成には手を焼いているようだな」
「あのご気性ですからね。俺の言う事なんてまるで聞いちゃくれませんよ。今日に限らずね。せめて幸村の半分……そのまた半分でもいいので左近の話にも耳を傾けて貰いたいものですな」
「何を弱気な。天下に名をはせる鬼の左近殿が三成如きで手を焼くとは情けないぞ!」
勢いよく背中を叩かれ、流石の左近も痛みに顔を歪めた。
何をするのだと鋭く睨むが兼続にそれが通じるわけもない。
からからと笑いながらあっさりと流されてしまった。
「あまり幸村を基準に考えない方がいいぞ左近。あいつは特別だ」
「特別?」
「ああ。あの二人は幼馴染で兄弟のように一緒に育ってきたからな。故に三成は幸村を弟のように可愛がっている」
左近が武田を出て以後の話だった為知らなかったが、幸村は一度羽柴の家に預けられていた事があった。
主家である武田が先代から現当主になった際、資金繰りに困り日ノ本一の富豪である秀吉に頼ったのだが、その形として幸村が預けられたのだ。
幸村の父は養子に出す事も考えていたようだが、ねねの計らいにより数年で真田家に帰される事となった。
誰の手にも扱い辛い三成であったが幸村は違った。
彼の素直で誠実な性格が幸いし、寝食を共にして以来、三成は幸村に心を許し、兄の如き振る舞いで接しているのだという。
「俺が武田を出てからそんな事があったんですね……」
話し込んでいる間にも日は照り続け、その茹だる暑さに桶の水はあっという間に温んでしまった。
左近は水を入れ替えようと井戸の水を汲み上げる。
手にかかる冷たい水が心地よく、わざと足元にかかるよう豪快に水を入れ替えた。
足下の土が濃い色となり、泥が跳ね足にかかった。
「あまり手に余るようなら一度突き放してみるのも手だぞ左近。甘えがあるからあいつもきつい態度となるんだからな」
「兼続さんもそのように?」
「俺は全く気にならん。あれぞ三成の骨頂ではないか!」
何と被虐的で前向きな御仁だと呆れ返ったが、そうでなくば主と友で居続けるなど困難であろうなと思い直す。
それに普段は熱すぎるほどの性格ではあるが、さりげなく差し出される懐紙に押し付けがましさなどなく、それも主は気に入っているのだろう。
礼を言って受け取ると、兼続は部屋に戻ると言って立ち去った。
それを見届け、左近はすぐ脇にある縁側に腰掛け足元の泥を拭っていると背後から左近を呼ぶ声がある。
そこには兼続と入れ替わりにやってきた幸村が立っていた。
「どうした。殿が桃を催促されたか?」
「いえ、そうでは……少し話をしたいのですが、よろしいですか?」
「……ええ、かまいませんよ」
こうして一人でいるところへやって来るという事は、他の二人には聞かせたくない話なのだろうと左近はすぐ側の空き部屋へと入った。
後に続く幸村に座布団を進めるが、それを断り畳の上へと正座する。
思い詰めた表情で一体何の話かと思っていると、いつかの日にかけられた言葉を彷彿とさせられる一言を投げかけられた。
「左近殿が三成殿の伴侶としてここへやってきたというのは真にございますか」
「な、何?」
大谷や小西など羽柴の家の者には話していたが、友とはいえ他家の者には話していなかったのだろうかと思ったが兼続からその話を聞いたのだという言葉にそうではないと解る。
では何故、と幸村の表情を伺い一つの可能性に気付いた。
「大殿からそう言われてここへ来たのは確かだ。が、今はただの側仕えに過ぎませんよ。殿もそれを望んでおられる」
それを聞き、明らかにほっと表情を緩ませた事に確信する。
幸村は三成が誰かの物となる事を良しと思っていない。
それが恋情であるか、ただの親しき者への、例えば兄への情であるかは解らなかったが確かに嫉妬のような感情を汲み取った。
「何だ幸村、俺が殿の伴侶じゃ不満か?」
「そ、そういうわけでは……ただ、その……三成殿はあの通りの方なので家中でも目の仇とされてしまう事が多い故……その、心配で……」
口の中でもごもごと言葉を繰り出す幸村に、何か後ろめたいものは感じられない。
態度は煮え切らないものだが、ただ純粋に三成を心配しているように感じられる。
だが左近の心はざわつき、何やら落ち着かない心持ちとなった。
「左近殿は三成殿をどう思われているのですか?義と愛を貫いておいででしょうか?」
「は……は?!」
その突然の質問に思わず素っ頓狂な声を上げてしまい、誰かに聞かれてはしまいかと左近は思わず自らの手で口を押さえた。
よもや愛などという言葉が出てくるとは想定外だった。
「いやぁ……参ったねこりゃ」
「如何なされたのです?私は何か間違えた事を言いましたでしょうか?左近殿が三成殿を主人として認め、従者として添い遂げる覚悟がおありかと、そう思い尋ねたのですが……」
赤い顔で困った様子を見せる左近に、幸村が珍しく狼狽える。
何だ勘違いだったかと些かの恥ずかしい思いを隠し、左近は軽く頷いた。
「ええ、長く色々な人を見てきたがあんなに仕え甲斐のある御仁は初めてでね。漸く生涯を賭けられる主人に出会えたと思ってるよ」
「真にございますか?左近殿は決して三成殿を裏切らぬと?」
「一体どうしたんです。そんなに必死に……何か思うとこでもあるのかい?」
その問いは是であると、幸村の真剣な表情が物語っている。
左近は少し言葉を躊躇う幸村を促した。
「あのお方は、羽柴の家の為にある……哀しき金糸雀なのです」
「金糸雀?殿が?」
近年、欧州より持ち込まれた美しい羽に美しい鳴き声を持つその鳥に喩えられ、左近は僅かではあるが違和感を感じる。
確かにその名に相応しい美貌と涼やかな声を持つ主ではあるが、哀しいとはどういう意味なのだろうか、と。
「北の方様がそう仰っておりました。大殿を、羽柴を守る為にある金糸雀……そのお役目を、三成殿は忠義として守り大殿に尽くしておられます。それにより己が傷付く事も厭わず!ですから裏切りで三成殿が傷付く事はもう二度と……!」
戦では比類なき勇猛さを示す幸村も、普段は至極穏やかな性分だ。
そんな彼が珍しく声を荒げ、拳を握りしめている。
恐らくは三成が遭ったという件の事件を思い出しているのだろう。
そう思い問いかけると幸村は少し驚いた様子を見せたが、すぐにご存じだったのですねと呟く。
「大谷殿から聞いたよ。それが原因で親しい人を極力遠ざけてるって事もね」
「……はい……三成殿は私の事も……無力な己がただ情けない」
「それは違うと思うがね」
俯き、正座した膝の上で拳を握り締め感情を押し殺す幸村に左近はなるべく明るい調子で返す。
「殿はあんたを大事思ってる。今度の仕事を共に出来ると喜んでらっしゃったんだ。珍しく感情を前に出してな。幸村を無条件に信頼の置ける御仁と認めてるんだ。そんな、無力なんて微塵も思っちゃいないだろうよ。あんたがいるから殿は心休まる事もあると思いますよ?」
「三成殿が……私を?」
三成に認められていると解り、それがよほど嬉しかったのか幸村の顔が見る見る明るいものとなった。
刹那、ちくりと痛む胸には気付かないふりを決め込み、そろそろ戻らなければと立ち上がろうとした。
「左近殿、今一つ……」
だが幸村は再び厳しい表情を見せた。
剣呑な様子に一体どうしたのかと首を傾げる。
「件の……三成殿に執拗に付きまとっていた男が上方へ戻るとの事でございます」
「何?」
「遠方へ左遷された後羽柴から離反、他家へ仕官したそうなのですが……此度その仕官先が羽柴の傘下に入り京へ上るとの由。殿下はなるべくここ近辺への配置はせぬとの仰せですが、どうかお気を付けを」
京とここでは距離はあるとはいえ、以前より格段に距離が縮まったといえる。
その気になればここへやってくるなど造作もない事。
何より仕事で顔を合わせる事も多くなるだろう事は想像に易い。
左近は強張った表情の幸村を安心させるように肩を叩き、三成の元へ戻ろうと促した。
【続】