カナリアと花嫁 7

三成の側に仕えている少年は、最初にこの屋敷にやって来た日に案内をしてくれた者と、あと一人、その少年の弟もここで世話になっていた。
二人は両親を亡くした折に母の遠縁であるねねを頼り、そして彼女の図らいでこの屋敷勤めとなった。
そんな彼らは三成が事情のある者から召し抱えるきっかけとなった者達だ。
故に三成は殊に二人には目をかけていた。
その様は年の離れた弟を可愛がるようだと左近はいつも微笑ましく思っていた。
学校へ行く年なのだから、ここから通えば良いと勧められているのだが、どうしても二人は首を縦には振らないのだと三成が頭を抱えていたのを思い出す。
左近はいい機会だと、久々に厨の手伝いを買って出た。
既に三成の側近として働いている左近に、またこのような仕事はさせられないと遠慮する女中達をまあまあと軽い調子でいなすと、少年らと共に野菜の下拵えを始める。
兄である虎丸は文武に長け、秀吉も将来有望だと太鼓判を押している。
長兄らしく下の者の面倒見が良く、また機転もよくきいて幼い頃の三成を思い出すと言ってねねも目を細めていた。
片や弟の龍丸はその真逆を行き、頭の良さは血筋生来のものか兄に引けを取らないのだが、武道を嗜み溌剌として豪気な兄と違い、気性は穏やかで優しい。
そしてどちらかといえば手先が器用で楽器や絵など芸術分野に造詣が深い。
特に彼の描く洋画などは、風流人である秀吉やその周囲すらも舌を巻くほどだ。
それを分かっているからこそ、三成は二人がその道を極めさせてやらんとして学校へ行く事を勧めている。
「学校……で、ございますか?」
「ああ、殿がね、お前達を今からでも通わせたいと仰せなんだが?」
兄弟は顔を見合わせ、同時に困ったように眉を寄せた。
性格は正反対であるが、顔立ちはよく似ていて、そして兎に角仲の良い二人なのだ。
こんなところまで仲が良い事だ、と左近は感心する。
「三成様にはいつも気に掛けて頂き本当に感謝しています。ですが今ですら過分にお心遣いを賜っているというのにこれ以上の事は恐れ多く……」
「ふむ……」
学校へは行きたいという意思はあるようだな、と左近は確信した。
要するに彼らは三成に遠慮しているのだ。
身寄りのない自分達を引き取ってもらい、仕事を与えてもらい充分すぎる程の給金を受け取り、尚且つ学校にまで通わせるというのだ。
普通の感覚ならば遠慮して当然だろう。
更に彼らの三成への忠誠心を思えば左近が思う以上の事かもしれない。
これは一筋縄ではいかないなと察知した左近は少しずつ外堀を埋め始めた。
彼らの本音を聞き出す為だ。
「なら金や時間があるならどうだ?学校へ行ってみたいって気持ちはあるのかい?」
「それは……はい。出来る限り多くを学び、三成様のお役に立ちたいと思っています。ですがそれも寓言にござります故……」
左近の誘導には乗らず、虎丸はなるべく角を立てないよう慎重に話を持って行っている。
普段から口数の少ない龍丸は兄の言葉をただ黙って聞いているだけだが、その表情から彼もまた同じ意見であると窺い知れる。
「左近様、ご心配なさらずとも、私達も考えておりますれば」
「考え?」
「はい。金を貯め、いずれは弟を絵の学校へ通わせようと思っておりまする」
「兄上!それはお断りしたはずです!」
専門的な勉強をする学校はそれなりに金がかかる。
兄は自分の進学を諦め、才ある弟に道を譲るつもりらしい。
だが当の本人はそれに納得がいかない様子で、珍しく表情に怒気を浮かべ抗議する。
俄かに始まる不毛な言い争いを止め、左近は一つ提案をした。
それに兄弟もようやく納得がいったようで、本当にいいのだろうかといった様子ではあるが、首を縦に振ってくれたのだった。
さて次は主を説得する段なのだが、こちらは兄弟のように素直に聞き入れてはくれないだろう。
ここからが本当の腕の見せ所だな、と一つ息を吐いて気合いを入れ直すと主のいる部屋の外から声をかける。
「殿、左近です。少しお時間よろしいですか?」
「構わぬ。入れ」
凛とした声が届き、左近は静かに襖を開けると頭を下げにじり入る。
襖を閉める為に今一度背を向けると背後から飽きれたような溜息が聞こえた。
「左近、そう畏るな。一度言えば解る男と思ったのだが?」
「これも性分でしてね。二度三度と注意されたところで治りゃしませんよ」
左近が部屋に入り、改めて目前で頭を下げると三成は少し困った表情を浮かべた。
「お前は殿と呼んでくれるが……俺はまだ領地も任されていない小身で、更には学生だ。父程に歳の離れたお前にそう呼ばれるのは、その…面映ゆいのだよ」
「酷いですね。せめて兄と言って欲しいものですな」
「いや、父だろう。十九も離れているんだ」
一瞬で己の歳から三成の歳をはじき出し、左近は思わず声を上げた。
「……え?!」
歳の割に随分若く見えると思ってはいたが、三成はまだ十代だったのだ。
今年大学を卒業する、と聞いていた為に勝手にその歳と思っていたのだが、そうではなかったようだ。
「何だその顔は。よもや主の歳も知らなかったのではあるまいな?」
「いやー……俺はてっきり……」
「二十二の歳と思うたか。残念だったな。俺は四年飛び級で大学へ行ったのだよ」
先に繋げる言葉を先に言われ、左近は言葉を飲み込む。
これだけ頭が良くて秀吉の後ろ盾もあればそれも可能なのは当然だ。
その可能性を全く考えていなかった考えの浅さと、思った以上に歳の離れた"旦那様"である事に思わず打ちひしがれる。
しかし待てよ、と態勢を直した。
「殿は左近の歳をご存知で?」
「ああ、おねね様に聞かされていた。見合いの前に」
そもそも初対面のあの態度にもあったように、最初から断るつもりであったから名前と年齢以外の事は秀吉の仕事と関わっている、という事実以外は知らなかったようだ。
ならば何故、大谷が言っていたように頑なだった態度を翻し、会うだけならと言ったのだろうかという疑問が湧いて出た。
「しかしよくそんな年嵩の男と会う気になりましたね。仮にも花嫁候補なんですよ?」
「そっ、それは……秀吉様に近付く輩がよからぬ事を考えていないかこの目で確かめてやろうと思って……」
「それで、確かめてみて如何でしたか?」
是非その答えを知りたいとわざとらしい笑顔を見せる左近に三成の顔がみるみる不機嫌になる。
しかし怒っているというより答えに窮している様子で、手にしていた扇子をびしっと左近に向ける。
「そんな事より!何か用向きがあったのではないのか?!俺は忙しいのだよ!さっさと言わんか!」
「ああ、そうでした。虎と龍がようやくうんと言ってくれましたよ。学校へ行く事に」
「まことか?あの二人が?」
その朗報に三成はぱっと表情を明るくして体を乗り出した。
「しかしどうやって……お前が説得したのであろう?」
「あの二人もなかなか頑固でしてね、条件を付けたのですよ」
「条件?」
「自分達で授業料を出す、という事ですよ。もちろん今の二人にそんな金はありませんが……一つ手はあります。奨学金ですよ」
ようやく是の答えが得られたと喜んだ三成だったが、それは飲めないと首を横に振る。
やはり、とここまでの展開は見て取れていたので左近も動揺せず次の手を打つ。
「公のものではありませんよ、奨学金といっても。殿があの二人に貸すんです。給金のうちから天引きをして少しずつ返済をさせるのです」
「同じ事だ!あの二人よりそのような金は受け取れぬ!」
「ですから、それは殿で預かればよいのですよ。そして折を見て特別給金として二人に返せばよろしい。これから先いくらでも入り用の場は出てくるはずでしょう。新たに学べば外国へ行きたいと申すやもしれぬ。いずれ嫁を貰うにしても支度金は必要なのです。その時にでも渡せば、祝いの金ならば断る理由もありますまい」
理路整然と導かなければ絶対に頷かない主に対し、左近は一気に畳み掛けた。
言葉を挟む余地もない左近の提案に暫く思案を巡らせていたが、三成も渋々といった様子で頷いた。
「解った。それで二人が学校へ行くというのであれば、お前の案に従おう」
「は、ありがたきお言葉」
「しかし……まさかそのような案で二人を説得するとは思わなかった」
「何処かで折を付けねば話は平行線ですからな。三人とも等しく頑固ですから」
そんな事はないとむっとして眉を顰める様子がなかなかに年相応に幼く、左近は思わず目を細めた。
その視線が居心地悪いと咳払いを一つ聞かせ、三成は姿勢を正した。
「だが……お前には感謝せねば。俺ではこうして上手く事を運べなかったであろう」
「何を仰います。それも左近のお役目ですよ。殿が日々を滞りなくお過ごしになれるように立ち回るのもね」
「そうか……ならばお前がいてくれて本当に助かった。礼を言う」
初めてその存在を感謝され、涼しい顔で頭を下げたが身の内ではじっとしている事がむず痒い程歓喜に満ちていた。
仕事の手伝いなどの雑務はやっていたが、これ程に深く感謝された事はなかったのだ。
本当にここへ来てよかったと改めて噛み締めながら、早速奨学金の計算をすると言い出した主の為に紙と筆の準備を始めた。

【続】

 

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