カナリアと花嫁 5

三日と置かずあった二人の来訪は、ねねが出張に出た事で一旦は途切れた。
だが大谷は相変わらず忙しい中でもよく屋敷に顔を出していた。
遣いの者を寄越せばよいような、やれ野菜だ菓子だと差し入れを自ら持ってくる事もある。
偏に三成を心配しての事だろう。
先の大谷の言葉が真であるのなら、三成は左近ともっと親しくなりたいと思っているのだが、どう向き合えばよいか解らず困っているという事になる。
そんな親友の一大事を助けたいとも面白がっているとも取れた。
しかし今日は少し様子が違っていた。
屋敷にやってくるなり、説教を始めたのだ。
いつまでこんな中途半端な事を島殿にさせるのか、と。
「大谷様」
「島殿は黙っておれ。これには少し灸を据えねばならぬわ」
いつも涼しい顔をしている三成も大谷も珍しく互いに怒気を露わに向き合っている。
その空気を割るように左近は声を上げるが大谷にぴしゃりと止められてしまった。
左近もこれ以上出しゃばる事も出来ず、上座に座る二人を部屋の隅から見守る。
「いいかい、佐吉。お前が何を思い今のこの状況に甘んじているのかは知らぬがよく考えてみよ。島殿程の男にいつまで飯炊き女のような真似をさせるんだい?」
「それは―――…」
事情を話そうと左近は口を開きかけるが、大谷に視線で制される。
「このままでは島殿の為にも良くない。お前は何を言われても、何をされても構わないと笑うかもしれぬが、今の状態では外聞も悪い。お前がこの先島殿を手放す気であるなら彼の経歴に黒が出来るではないか」
大谷からはすでに怒気は消え、今あるのは真剣に友を心配する姿だ。
三成もそれを理解しているのか何も言わずにただ黙って言葉を聞いている。
「大殿からは断られたと聞いたよ。島殿を再び羽柴の家に迎える事はしないと、そう北の方様が決められたと。だったら島殿に今一番良いようにしてやるのがお前の務めではないのかい?佐吉よ」
「紀ノ介、俺は……」
「佐吉、何を迷う。島殿は座敷に住むか弱い猫ではない。こんな狭い場所で飼ってどうするんだ」
そこまで言われ、三成は何も言わずに黙って足早に部屋を立ち去った。
居心地の悪い空間に二人残され左近も追いかける振りをして逃げ出してやろうかとさえ思った。
しかし大谷の疲れたような溜息が聞こえた事に、浮きかけた腰を再び据える。
「あそこまで言って、解らぬ阿呆ではない。島殿、すまぬが暫しあれに付き合っちゃくれないかい?」
「大谷様……あんた一体……」
何を考えていると言いかけて口をつぐむ。
何を、などと問うまでもなく三成の為だ。
ねねに聞いた話ではこの大谷吉継は他の子飼い達との仲の険悪な三成が唯一といっていい程に親しくしている友だということ。
なればこうして介入して然りだろう。
友として必然だ。
「あとはあれに任せる事にしよう。俺のお節介はここまでだ」
「お待ちください大谷様」
帰ろうと腰を上げる大谷を呼び止め、左近は先程感じた妙な違和感を直訴する。
「さっきの猫の話……どういう意味ですか?ただ飼い殺しだって意味には聞こえませんでしたがね?」
大谷ほどの智将が使うような例えではなかった。
それが左近には引っかかったのだ。
その言葉の真意は他にあるのでは、と。
案の定大谷は意味深な笑みを浮かべると鋭い事だと呟く。
「何故に島殿が大殿の元から三成の下へ下らんと言われたか理解出来た。あれは人の心の機微というものを全く理解しない男だからね。故に他人との衝突が避けられんわけだ。島殿が側にあればあるいはと考えての事だったんだね……まあしっかりと頼んだよ」
一体何を頼むつもりなのかと嫌な予感がする。
複雑な表情の左近に大谷は更に裏のある笑みを浮かべ平然と言ってのけた。
「無論あれのご機嫌取りだよ。あれ程に言われて拗ねているやもしれぬからのう」
くつくつとおかしそうな笑いを残し、見送りを断ると大谷は本当にそのまま帰ってしまった。
大谷のあの言葉の調子では、というより普段の三成を見ていれば拗ねて態度を硬化させてしまった後は並の事では治らないだろう。
さて困った事になったと自室で頭を抱え半刻近く悩んでいると、突然部屋に続く廊下がばたばたと騒がしくなった。
何かあったのだろうかとそちらへ意識を向けた瞬間襖が大きく開いた。
そしてそこに立つ人物に度胆を抜かされる。
「と、殿っ?!」
先刻黙って出て行った三成が息を切らせて立っていて、左近は慌てて手を付き頭を下げた。
「よい。そのままでよい」
「は、はあ……あの、何かご用で?」
左近はずかずかと無遠慮に部屋に入る三成に座布団を用意すると自分は下座に下がり畳の上に正座する。
しかし三成はその座布団を横に寄せると畳に座った。
「殿、何を……」
「すまぬ」
突然頭を下げられ、全く何の事か解らないと左近は目を白黒させる。
だがあまりに真摯な態度に左近は何も言えずにただ頭を下げる主を見つめた。
「その、少し……思うところがあって、今までお前にはこのような真似をさせて……本当にすまなかったと思っている。紀ノ介……吉継の言う通りだ。お前程の男を俺は……こんな……」
「殿」
悲愴な表情で何を言い出すのかと左近は言葉を遮る。
何かに怯えているかのように肩を揺らし左近の声に反応する三成の側に寄り、そっと肩に手を置いた。
「今のこの状況は左近が望んでの事なんですよ」
「……何?」
「大殿に頼んだのは俺なんですよ。どんな形でも構わないから殿のお側にってね。見合いったってあんなままじゃお互い何も解らないままでしょう?断るにしたってもうちょっと己を知って貰いたいとね」
「そ、そうか……そうだな」
口から出まかせが半分だったが三成はその言葉を素直に受け取ったようで深く頷いた。
なるほど大谷の言った通りだと妙な感心をしてしまう。
だが万が一にもそれ以上突っ込んで聞かれては困ると左近はすぐに別の話題を持ち出す。
「それで殿、先程はどちらへ?」
「……秀吉様のところへ……急ぎ文を……」
「大殿の?何故?」
これはいよいよ返品されるかと覚悟したが、よく考えてここまでの三成の態度からしてそれはないだろうと思い直す。
ひやりとする背筋に左近はここを離れ難く感じているのだと改めて感じた。
外から何を言われているかは知っていたが、中に入ればこれ以上に居心地の良い家はない。
これまで沢山の家を見て、いくつかの主家を持ったが此処ほどに仕え甲斐のある主はいなかった。
三成が誰よりも手が掛かる、と言えばその一言に尽きるのだが、それ以上に返ってくるものがあったのだ。
今まで根無し草のようにあちこちの家に客分として招かれ仮暮らしの毎日であったがようやく己の居場所を探し当てたかもしれないと思っていた。
「お前を……この屋敷務めではなく、俺個人の側仕えとしても構わないかと……そう伺ったのだ。その、嫁としては……受け入れられんが、側で働いて欲しいと思ったのだよ」
何だそんな事かと左近は拍子抜けした。
良いかどうかも何も、秀吉もねねも元よりそのつもりをしていたのだ。
左近にしてみれば今更問う事もないが、この生真面目な主はそうもいくまいと思っているらしい。
そんな主に笑いを噛み殺すのに必死で思わず神妙な顔になってしまう。
それを見た三成は秀麗な顔を少し歪ませ居住まいを正した。
「お前はこんな俺にもよく尽くしてくれて……本当はとても感謝していたのだ。だが……その、あまり親しくなれば……」
そこまで言うと三成は、いや違う、と呟き言葉を止める。
「殿は左近を遠ざけたいとお思いで?」
「違う!そうではない!そうではないのだ……」
からかいが過ぎて疎ましがられたかと一瞬後悔したが、それは全力で否定される。
ならば一体何だというのかと疑問に思う左近を更に混沌に陥れる言葉を三成は言ってきた。
「時に、お前は武芸の嗜みはあるか?」
「へ?」
突然何を言い出すのかと思わず間抜けな声が出てしまう。
「何だってそんな事……ああ、護衛ですか?」
そういう意味での側仕えが欲しいのかと思い当たったのだが、それも否定されてしまう。
「……そうではないのだが、どうなのだ?腕に憶えは?」
「そうですね……まあ人並み以上とは自負しちゃいますが、何だったら今度手合わせしましょうかい?」
「いや、お前がそういうのであれば確かであろう」
三成は緩く首を振り、左近の言葉をまるごと信じたようだ。
「吉継に言われ漸く己が暗愚に気付くなど恥ずかしい限りなのだが……俺は本当に自分の事しか考えていなかった。お前の事を思えば秀吉様の下へ戻る事が良いのだろうが……」
そこで言葉を止め、改めて姿勢を正すと真っ直ぐに左近の顔を見据えた。
「お前は秀吉様の下で働いていた程の名士だ。故に俺ではその、主として不足やもしれぬが……どうか俺の下で働いてはくれぬだろうか?よろしく頼む」
その殊勝な態度は普段の三成とは程遠く、左近は思わず瞠目した。
しかしこの数ヶ月側にいて、本当の三成がこちらであるという事は左近にも解っていた。
他の者ならば慇懃無礼に見えるその態度も、三成であれば裏の無い、慇懃であると確信出来る。
そんな事を考え、暫し言葉を失っていると答えを否と捉えたのか三成は態度を萎れさせ、やはり駄目かと呟いた。
「駄目なわけないでしょう。押し掛け女房の分際で過分なお言葉を賜って恐縮したまでです。こちらこそ改めてよろしくお願いしますよ、殿」
左近は畳に手を付き深く頭を下げた。
その時頭上から安堵の吐息が聞こえ、三成も柄になく緊張していたのかと微笑ましく思う。
そして頭を上げると珍しく穏やかな微笑みを湛えた主の姿があった。
今までは険しい顔ばかりを見てきたが、漸く彼の内側に入れたような気がした。
「そうか、これからよろしく頼むぞ……左近」
初めて名前を呼ばれ、ことりと心臓が鳴った。
そしてその左近の心には一つの思いが宿った。
この方こそ、真に生涯仕える方であるかもしれない、と。
何かがあっての思いではなく、ただの直感だった。
しかしこの今まではどの家に仕えた時もこんな気持ちにはならなかったのだ。
それがむしろ気持ちの証明しているように思えたのだった。

【6に続く】

 

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