カナリアと花嫁 4
殺風景な三成の屋敷に珍しく朗らかな笑い声が響いている。
声の主はねねで、大谷と二人、広い座敷で我が家のように寛ぎ談笑しているのだ。
そこに珍しく足音高くこの屋敷の主が入ってくる。
「紀ノ介!!おねね様!!三日と置かずやってくるのは止めて下さい!!普通に邪魔です!」
その言葉は決して大仰なものではなく、二人は暇を見つけてはこの屋敷を訪ねてきている。
頻度はかなりなもので、このひと月の三分の一はやってきているのだ。
しかも主のいない隙にやってきて左近や他の使用人とおしゃべりなどを楽しんで帰るのだから質が悪い。
「まあまあいいじゃないの。あんたの顔見るのはついで!私達は左近の手料理食べに来てるだけだから気にしないでよ」
「気にします!」
三成がバンっと勢いよく座敷机を掌で叩きつけるが二人はそんな事など予測済みとばかりに避難させるように目の前の湯飲みを持ち上げ、二人同時にそれに口を付けわざとらしくずずっと音を立てて飲む。
「失礼いたします」
そこへ使用人の少年を連れた左近が入ってくるが、その空気の悪さにおや、と眉を顰める。
「盛り上がってますね。何のお話ですか?」
何が起きているかはだいたい察していたが、あえてそう問う左近の意地の悪さに三成は臍を曲げてしまった。
しかし居ない場所である事ない事言われてはたまらないと思っているのかここから立ち去る事はせず、せめてもの抵抗とばかりに庭を臨むよう広縁に座り、皆には背を向ける。
すでにこの類の不機嫌など慣れたもので、三人は特に何も言わずにそれを見つめた。
そうしてる間に少年の手により客人の前に並べられる料理はどれも粋を凝らされた美しいもので、これが無骨な左近の手により作られたとは俄かに信じがたい。
だがあらゆる才に長けた男はこのような繊細な仕事も熟してみせている。
「もう!三成もこっちで一緒に食べようよ!美味しそうだよ?左近のお料理!」
「結構です」
ねねの声を制するように左近は軽く手を挙げる。
そして二人に食べるように勧めた。
相変わらず背を向けたままの三成の事は左近に任せ、ねね達は箸を手に取り彩りよい料理に口をつける。
「おいしい!美味しいよ左近!ほんと上手だねえ」
「いえいえ、北の方様にはかないませんよ」
「ううん、私こんな飾り細工なんて出来ないもん」
ねねの手前謙遜はしているが、長く独り身であった所為か左近の料理の腕はかなりのものだった。
だが自分一人の為の料理と誰かの為に作る料理とは違う。
それでなくとも、と左近は未だ背を向けたままの主に近付く。
この困った主は食に対して極端に興味が薄く、放っておけば忙しさにかまけ三食食べずに過ごしている事もあるのだ。
こんな状態で放ってはおけないと左近は常々気を掛けていた。
どうにか食べて貰えないものかと試行錯誤しているうちにここまで腕が上がってしまっていたというのが真相だった。
「殿、ここに置いておきますから気が向いたらで結構ですので食べて下さいよ。今日は朝から何も召し上がってないでしょう?」
三成の座る横に膳を置くとそれを一瞥するが手は付けようとしない。
だがそれも左近には解っていた事なのでそれ以上は何も言わず、茶だけを差し出し下座に下がった。
「佐吉。さっさと食わねば折角の料理が冷めてしまうよ」
それまで黙々と箸を口に運んでいた大谷にそう声をかけられるが、三成はやはり二人から顔を背けたまま庭をじっと眺めている。
やれやれと溜息一つを吐き、箸を置くと大谷はわざとらしくずずっと音を立てて茶を飲んだ。
「気になさんな、島殿。本当はね、佐吉はお前さんに会うのを楽しみにしていたんだよ」
「へ?」
「え?!何それ吉継!!詳しく話して!!」
「紀ノ介っっ!」
ようやく振り返ったかと思えば三成はその視線だけで大谷を殺してしまいかねない程の殺気を発している。
しかしそんなものなど大谷に通じるはずもなく、ねねも全く意に介さず前のめりに興味津々といった様子で大谷に詰め寄り、左近は思わぬ言葉に間抜けな声を上げた。
「いいじゃないか佐吉。もう言ってしまえば。佐吉はね、この見合いに本当に乗り気ではなかったのだよ。それこそ世話になったこの家を出たいと思う程に。だが相手が島殿と知ってとりあえず会うだけならと態度を緩めたのだよ」
「そうなの?!三成!」
「ちっ…違います!そんな事はありません!!俺は秀吉様の命で仕方なく…!!」
「おや、お前らしくもない嘘を言うね」
「紀ノ介!!いい加減な事を言うな!」
普段は白すぎる程に白い顔容を真っ赤にして言い訳しようとするが、そもそも口で大谷に勝てた試しがない。
三成は反撃の言葉を失い力尽くで口を閉ざそうと大谷に詰め寄るが、彼が口を閉ざす事はない。
あっさりとその手をかわすとしれっと言ってしまった。
「佐吉は本当は島殿と仲良くしたいのだがね、どうしていいか解らないだけなのだよ。だから根気良く付き合っちゃくれないかい?」
「なぁーんだ、そうだったの?もう、ほんっとに素直じゃないんだから……」
「だから違うと……」
それまで怒気を前面に出していた三成だったが、今度は見ているのも可哀想な程にうろたえている。
左近は笑いながら三成に落ち着くよう茶を勧めた。
「殿、落ち着きましょう。うろたえれば面白がられるだけですよ」
「なっ……うっ……」
反論しようとしたが、ねね達のにやにやとした表情を見てからかわれているのだと知り、差し出された湯飲みをひったくり一気に飲み干した。
そしてもう一度広縁に戻ると庭に向けて座り込む。
ねねや大谷はすでに三成への興味を失せさせたように再び膳に向かい食事を楽しみ始めた。
それを眺めながら左近は笑いを堪えるのに必死だった。
この屋敷へやってきてふた月と少し、ようやく返事などは返してもらえるようにはなったが未だまともに口はきいてもらっていない。
だが大谷の大暴露により少しずつ三成の考えが見えてきた。
なるほど不器用な方だ、と庭を向いたままの三成に視線を向ける。
しかしここへ来ると決めた時の淡い思いもあるが、近頃はどうにもこの面白い御仁の相手をする事を楽しんでいる節がある。
今ならばはっきりと断言出来る。
あの淡い思いはあくまで彼への好奇心がそうさせたのだと。
こんな事が暴かれれば本格的に臍を曲げられてしまい、今度こそ屋敷を追い出されかねないだろう。
絶対にそれは表には出さないようにしなければと左近はねね達に気付かれないよう表情を引き締めた。
やがて賑やかな食事が終わり、秀吉の出張に帯同するといって帰宅するねねを送り届けた後、屋敷に戻ると大谷がまだ屋敷にいると気付く。
大谷は忙しい中暇を見つけてはよくこの屋敷にやってきていたが三成とこのようにゆっくりと話す機会はなかった。
ならば邪魔をするのは忍びないと、左近は挨拶は後にするかと座敷を離れる。
しかし大谷の声が凛として廊下に届き、左近の耳に入ってきた。
「さっきはあのように言ったが……本当は違うのだろう」
「紀ノ介……」
「解ってるよ。お前の心にあの事がずっと圧し掛かっているのが。だから島殿を遠ざけるのだろう?」
三成に返事はない。
だがその沈黙を肯定としたのか大谷は大きく溜息を吐いた。
「臆病なのも構わないがいい加減にしないか。今のままでいいとは思えないがね」
「……解っている!だが俺は―――……」
「ああ、お前が本当は優しい男だという事は俺も知っているよ」
「そんっ……!」
「島殿が心配なんだね?」
否定しようとする三成の声を遮るような大谷の優しい声に左近は息を飲んだ。
ここまでの会話から察するに、三成は過去の何かに囚われてわざと自分を避けているという事になる。
左近は会話が途切れるのを見計らい、それ以上の立ち聞きは憚られるとその場をそっと立ち去った。
【5に続く】