カナリアと花嫁 3

天下分け目の戦から二百余年。
太平の世に武士は必要とされず、天下は武家に代わり大坂を中心とした商家によって形成されていた。
藩は府県と名を変え、諸藩大名は県知事府知事と呼ばれ政を行っている。
しかし実質天下を治めているのは商家が成長した財閥と呼ばれる大金持ちだった。
彼らは知事から領地を預かり、実質の統治を行っている。
その中でも最も力を持っていたのが天下分け目に勝利し、その後の世を形成した一族の末裔である羽柴家である。
現当主である秀吉は類稀なる商才の持ち主で、それ以上にとても臣下に恵まれていた。
家を大きく繁栄させ、最早この国に敵う者なしと言われる人物だ。
そんな人物の信を最も得て付き従っているのが三成だった。
生真面目過ぎるせいか商いの才はあまりなかったが、秀吉配下の誰よりも頭が良く機転も利く為重用されていた。
それ故に必死に諂い秀吉に気に入られようとしている人間からは疎まれている。
三成はそのような外野の雑音など我関せずといった涼しい顔で己に与えられた仕事を黙々とこなしていた。
左近が三成の屋敷にやってきてひと月が経ち、見えてきた彼の姿などその程度だった。
追い出すような真似はしなかったが相変わらず左近などいないものとして扱い、独りで大学の勉強と仕事を懸命に両立している。
だがちっとも縮まらない三成との距離と対比して、使用人達とは順当に仲良くなっていった。
そして知った事は、やはり三成はこの屋敷の者にとても好かれているという事だ。
最初に話をした少年と同じく、この屋敷にいる使用人は皆何か事情を抱えていた。
夫に先立たれた寡婦やその子供、夫の暴力に耐え切れず出奔した妻、仕事を失くし町で彷徨っていた男。
そんな者から積極的に召し抱え、この屋敷で仕事を与えていた。
しかしそんな者だからといって待遇悪くこき使い、奴隷の如く扱うわけもなく、常に心を砕き大切にしているのだ。
口で嫌がってはいるが、三成がねねを大切にしている事は言わずもがな。
なるほど、外聞と真実の差はここにあったかと左近は納得がいった。
表現が下手な所為で伝わりにくいだけで、三成を知ろうとする者達には彼の解りにくい真心も伝わっている。
やはり面白い方だと思い出し笑んだ時、廊下の向こうが俄かに騒がしくなる。
何かあったのだろうかと襖を開けると使用人がばたばたと玄関へ向かうのが見えた。
「殿のお帰りか?」
丁度目の前を通るところだった少年を呼び止め尋るが、彼は首を横に振る。
「いえ、お客様です。三成様のご友人の大谷様が急にいらしたので……」
「ご友人?」
友達いたのか、という失礼な言葉をぐっと飲み込み、慌ただしく立ち去る少年を見送る。
挨拶をすべきか、しかし三成が自分の事を話していないのならば出て行かざるべきかと悩んでいると、静かな足音が近付いてきた。
それに気付いた少年が廊下の端に寄り平伏した。
左近もその場に膝を付き、その人の到着を待つ。
「すまないね、急にやってきて。佐吉の奴め、なかなかうんと返事をしないから勝手に来てしまったよ」
「いえ、大谷様。ようこそいらっしゃいました。主に代わり心よりおもてなしさせて頂きます故どうぞごゆるりとお過ごし下さいませ」
大谷―――大谷吉継の名は左近も耳にしていた。
三成と同じく幼い頃より秀吉に目を掛けられ、今は秀吉の領地を一つ任されている才の持ち主だ。
だがその彼が三成と懇意にしているとは知らなかった。
佐吉、と幼名で呼んでいるのだからその頃より仲良くしているのだろう。
あの扱い辛い御仁と仲が良いとなると、聖人か、それとも彼と同じく変わり者かどちらかだなと警戒する。
恐らくは後者だ。
遠目で見ても穏やかな空気が解る程に柔らかな雰囲気をしているが、どうにもきな臭い。
背が高くひょろりと細長い印象はあるが、三成のように華奢な感じはしない。
頭巾と鼻や口が布に覆われた所為で顔の大部分が見えない中、瞳だけが暗く光っている。
だがその薄い布の向こうには存外に整った顔容があるように輪郭が見える。
これは長年の経験による勘としか言いようがないが、只者ではないなと強く感じた。
しっかりとそこに在る、という印象はどこからくるのだろうとまじまじと見てしまった。
少年は挨拶を済ませるともう一度頭を下げ、静かにその場を去った。
大谷は部屋の前で頭を下げる左近を一瞥すると静かに寄ってきた。
「お初にお目にかかります大谷様。島左近と申します」
「ああ、よく知っているよ。今日はお前さんに会いに来たのさ」
「は?俺に、ですか……?」
ゆったりと目を細めた裏のある笑みを向けられ、左近は大谷の思惑を察した。
彼は品定めに来たのだ、親友の見合い相手である自分を。
左近は下男に客間を用意させるとそこへ大谷を案内する。
向き合って座った大谷に茶を飲みながらじっと観察され酷く居心地が悪い。
「どうだい?佐吉……三成は?扱い辛いだろう?」
「そうですな。まだまともに口をきいてもらってませんね」
その言葉は予測済みとばかりに大谷はくっくっと口の中で笑いを噛み殺す。
「噂の花嫁に会わせろと言ったんだがね、への字に口を曲げて臍も曲げて俺とも口をきいてくれなくなってしまったよ」
「う、噂……ですか?」
「ああ、あれにも友の一人や二人はいるんだよ。性格が災いして数は少ないがね、あれと付き合える物好きは俺だけではないという事さ」
まさかこのような変則的な見合い話を口外しているのかと驚いたが、どうやら三成の身近な中での話らしい。
左近はホッと溜息を吐き、肩を竦めながら軽い調子で返した。
「だったら俺もその物好きに加わりたいんですがね、なかなか上手くはいきませんよ」
そもそも結婚相手としてなどと言っているが先程自分で言った通り、まだろくに口もきいてもらえていない状況なのだから、一概にそうも言えない。
今はただの使用人ではあるが、それでももう少し、せめて話ぐらいさせてくれてもいいものだが冷たい返事をするだけで三成は未だ左近と口をきこうとはしなかった。
原因が解れば手の打ちようもあるのだが、今のところそれすら解らず左近も完全にお手上げ状態だった。
「島殿はここに望んでやって来たと聞いたが……なるほど、あんたも相当変わり者のようだ」
「自覚はありますよ」
「あれに取り入ろうとする者は大殿への橋渡しとしてほしいか、あの容姿に騙されての者かのどちらかだったが……」
「俺がそうだと?」
その見当違いに左近は思わず鼻で笑いそうになる。
確かに容姿は比類なく美しいし、その後ろ盾はあの羽柴家。
何もない者であればそれも魅力であろうが、自分は全くそんなものには興味がない。
そもそも元は羽柴の家に抱えられていたところをわざわざその臣下に下って仕えているのだから、左近にあるのはただ純粋に三成に対する興味だけだった。
「……いや、そうではないようだね。そうであったら今頃島殿はこの屋敷から叩き出されている。あれはそういう勘働きはいいのだよ。もちろん気に入らない相手なら言わずとも解ろう?」
それが本当ならば何故これほど冷たく接されているのだろうかと左近は首を捻った。
「まあ顔の良さと気難しさが天下一であるのは確かだ。ゆっくりと距離を詰める事だね。警戒心などそのうち解けるよ。いつまでも気を張ってばかりいられずあれも根負けする日が来るさ」
「早くその日が来てくれれば俺も楽なんですがね。ま、のんびりいかせてもらいますよ。こういう手合いも悪くない」
「その意気だ。それぐらいでなきゃあれの連れ合いなど務まらんからね」
本当に左近を品定めしに来ただけのようで、大谷は帰り支度を始めた。
せめて三成が戻るまでゆっくりしていってくれと言ったが、これ以上臍を曲げられると敵わんと言って帰ってしまった。
だが大谷の屋敷はすぐ近所だと聞いていたのでどうせまた来るだろう。
そうは思っていたが、まさか三日と空けずにやってくるとは左近も想像していなかった。


【4へ続く】

大谷のビジュアルはのぼうの城刑部がイメージ。

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