カナリアと花嫁 2

何故こんな面倒を引き受けてしまったのか。
原因はもう解っている。
至極単純な理由だ。
年甲斐もなくあの冷たい男に惹かれてしまった。
あの恐ろしく美しい器にどのような人格が収まっているのか、興味が湧いたのだ。
だがもっと簡単に言えばただ単なる一目惚れだ。
今までに男に興味などなく、女相手では自慢ではないが常に追われる側の恋愛ばかりだった。
だからこれが恋であるかと言えば、そうとも言えず、この思いは何とも曖昧だ。
ひと回り以上も年が下で、男で、更に嫁として嫁げと言われた相手なのだから複雑な思いも当然だろう。
しかし人として惚れてしまったのだから仕方ない。
仕方ないと割り切ったものの、ああも取りつく島もない言葉で追い返されては手も足も出せないままだ。
そう考えた左近はまず秀吉に一つ頼みを申し出た。
「何と?」
「ですから、一つ下知を下しちゃくれませんかね?」
その突然の左近の申し出に秀吉は持っていた扇を思わず落とした。
「いやー…いやいや、まてまて。お前程の男にそんな役目……無しじゃろ。普通に無しじゃ」
「しかしこのままじゃ近付く事もままならないんですよ。何をしようにも側にいなけりゃ何も出来ませんからね。手段なんて選んじゃいれませんよ」
「うーん……しかしなあ……」
「いいじゃないのお前様。左近の事だもん、何か考えあっての事なのよ」
会社ではなく秀吉の邸宅に訪ねたのは正解だったなと左近は内心笑いを漏らす。
案の定ねねが見事に援護射撃をしてくれた。
おかげで秀吉は渋々といった様子ではあるが、左近の願い出を了承してくれた。

さてその下知とは、これも非常に単純なもので三成の屋敷勤めにしてほしいのだと頼んだのだ。
厨の飯炊き係でも庭師でも馬の世話係でも何でも構わない、とにかく彼の臣下としてくれないか、と。
こうでもしなければ三成は絶対に側に寄らせてくれないだろうと読んでいた。
しかし秀吉の命とあれば三成も頷かないわけにもいかない。
三成は顔を顰めたままではあるが住込みの為の大荷物を抱えやってきた左近を迎え入れてくれた。
「秀吉様は一体何をお考えなのだ……」
「ま、いいじゃありませんか。どうぞ手足として存分にお使い下さい、殿」
「よせ。お前とは夫婦と契ったわけではない」
不機嫌に顔を背けられるが左近はめげることなく話しかける。
「なんの、夫婦とならずとも今左近を召し上げているのは貴方なんです。殿と呼ばせていただきますよ」
「お前を抱えるとも言うてはおらぬ!次に秀吉様にお会いした際下知を取り下げるよう頼む故、それまではここに居ればよい。客分としてな」
そう言い残して三成は返事も聞かずに部屋を出ていってしまった。
やれやれ機嫌を損ねてしまったかと頭を掻いていると、入れ替わりでやってきた使用人の少年が左近を部屋に案内してくれた。
客分として、という言葉は本当だったようだ。
庭の見える日当たりの良い広い部屋へと案内され、左近は些かの不満を感じる。
「なあ、もっと手狭な部屋でいいんだが?俺は秀吉様の下知でこの家に配属された使用人だ。だからあんたらと同じ部屋で構わんのだがね」
「しかし三成様が御客人はこちらに通せと私に直接言われましたが……?」
「三成さんが?」
「はい。秀吉様がお連れになった大切なお客様だと……」
違う意見を並べられてしまいオロオロと狼狽える少年が不憫になり、左近はとりあえずこの部屋に腰を据える事に決めた。
運び入れた荷物を解き、部屋の隅にある長持に片付ける。
そして縁側に立って庭を眺めた。
ここは贅の限りを尽した秀吉の邸宅とは対照的な、非常に質素な造りの屋敷だ。
古い家屋に物がなさすぎて殺風景とさえ思ってしまうほどだ。
かといって古い、小汚いといった感じはない。
家中が明るい陽だまりのような落ち着いた雰囲気で、こちらの方がずっと好きだと左近は腕を組み空を眺めた。
片付けも終わり、特にする事もなくぼんやりと縁側で座り庭を眺めていると先刻ここまでの案内をしてくれた少年が再びやってきた。
「島様、お茶をお持ちいたしました」
「すまないね」
折角持ってきてくれた物を断るのも変かと思い、左近は勧められるまま茶に口を付ける。
そして一礼をして立ち去ろうとする少年を呼び止める。
「なあ、あの三成さんってどんな人なんだい?」
「三成様ですか?そうですね……とても、素晴らしい方だと思います」
「ほう?」
三成の事はこの家に来る前にある程度の事は調べてきたが、そのどれもが酷い意見ばかりだった。
怜悧な美貌に違わぬ氷の心の持ち主で、横柄で主の威光を傘に好き放題している奸臣であると。
しかしこの家の者はそうではないと、真逆の意見を持っていた。
「私だけではありません。ここの者は皆そう思っております。外では冷たい方と言われていますが……絶対にそんな事はありません!
私のような身寄りのない者に仕事を与えて下さいました。本当は三成様は一人の使用人も必要ない、
自分一人で構わないと大殿におっしゃっていたようですが……私の事情を知りここに置いて下さったんです。
本当に外で言われているような方ならば……そのような事はされないでしょう?」
「ああ、そうだな。確かにそうだ」
「それに三成様が奸臣なんて絶対にありえません!!あのお方が大殿の為にどれだけ尽力されているか……!!
三成様の悪い話など、大方本当によからぬ事を考え大殿に諂っている者が言いふらしているだけのものでございます!」
「なるほど、あんたの殿への思いも本物のようですな」
頬を紅潮させ鼻息荒く三成の事を語る少年もまた、ねねと同じような意見を持っている。
外での意見と、親しい身近な者達の意見がこれほどまでに違うとはますます面白いと左近はこの家に来るという判断が間違いでなかったと確信を持った。
「あの、失礼は重々承知なのですが……」
「何だ?何でも聞いてくれ」
「島様は……その、三成様のご伴侶としてこの屋敷に来られたと、北の方様がおっしゃっていたのですが……それは真でしょうか?」
「ブッッ―――…!!!」
その不意打ちに左近は思わず口に含んでいた茶を噴き出した。
「な、何?」
「あ、いえ!石田家のしきたりの事は私共も存じ上げております!!現当主である兄君様の奥方が跡継ぎをお産みになったという事は聞き及んでいますので……その……」
真実を知りたがっているような、それを知る事を怖がっているような様子の少年に向け、ひらひらと掌を振り煙に撒いた。
「ま、好きに想像してくれ。とにかく俺は秀吉様の下知でここへ来た。客じゃないんだ、過分なもてなしは不要だからそう三成さんにも伝えておいてくれないか?」
「は……はあ……そう、で……ございますか」
みるみる表情を曇らせ、雨に濡れた子犬のようにしょんぼりと肩を落とす少年にどうしたのかと尋ねる。
「いえあの……三成様はあの通り誤解されてばかりの方ですので……一番側に、本当に理解して下さる方がいらっしゃればと……思いまして」
「それが俺だと?」
「北の方様がそうおっしゃってました。三成様は誰に何を言われても平気だと常におっしゃっていますが……実際とてもお強い方ですから本当にそうなのでしょうが、信頼できる人が側にいれば考えもまた変わるのではないかと」
期待はされても本人があの調子ではなかなか険しい道だろう。
左近は前途の暗さと、反比例するように湧き上がる好奇心を抑えきれずに曖昧に頷くだけだった。


【3に続く】

 

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