桜雲桜人、冤鬼零桜 三幕



左近は桜の根元にどかりと座り込むと幹にもたれかかり、頭上に広がる枝を見上げる。
蕾は大量に付いているのだが、花を咲かせる様子がまるでない。
春特有の強い風に揉まれ、はらはらとまだ咲いていない蕾が落ちてくる。
それを一つ摘み上げ、溜息を吐く。
"辛気臭い顔をするな、左近"
「三成さん。どうされました?」
蕾が付いた頃から声だけは届くようになっていたが、未だ姿を現さないこの樹の主を臨むように視線を彷徨わせる。
"どうしたもこうしたもあるか!ここのところ頻繁にいなくなって……あまり心配をかけるな"
「へえ、心配して下さってたんですか?大丈夫ですよ。左近は決してお側を離れませんので」
幹を撫で、茶化すように言葉を撒くと機嫌を損ねてしまったのかそこで声が聞こえなくなった。
「あれ?三成さん?三成さーん。おーい」
「何を一人喚いている?」
そこにいる気配は分かっていたのでわざと大声でけしかけていると、いつの間にかやって来ていた吉継に聞かれてしまった。
少しの気恥ずかしさを隠すように平素以上の軽い声を返す。
「おや吉継さん。よくここがお分かりに」
「ここへはさくらが案内してくれるからな」
吉継の足元には絡まるように真っ白な犬が佇んでいて、左近に向け一つ主張するように吠えた。
神社からは普通に歩いているだけでは辿り着けないよう妖力で罠を仕組んであるのだが、獣にそれは通用しないのか真っ直ぐここまでやって来られるらしい。
「三成。呼ばれているぞ」
左近のすぐ頭上に向け声をかけるが返事はない。
吉継の視線が定まっている事からそこにいるのは確かなのだろう。
「また喧嘩でもしたのか?」
「いやいや、三成さんは左近が心配で心配でならないのだと拗ねておいでなんですよ」
"誰がお前の心配など!!!俺は心労をかけてくれるなと言っているのだよ!"
「いてっ!」
突然頭上から降ってくる大きな枝は三成の仕業だろう。
重力を伴い加速したまま落ちてきた枝はそこそこの勢いがあり、頑丈な左近の頭をも痛めつけた。
「酷いですね」
「三成」
吉継が頭上を見上げ窘めるように声をかけるがやはり無視されてしまう。
代わりにはらはらとまだ咲き切らない蕾がいくつも左近の黒髪に降り落ちてきた。
「三成、そのようにしては皆お前に会えなくなる」
「一体お前以外の誰に会えというのだ。虎―――清正も、正則も……幸村ですらもう俺を見る事は叶わんのだぞ」
「それが分からないお前ではないはずだ」
吉継の真意は充分に理解している三成は、しばらく押し黙っていたが地面に降り立つと、枝をぶつけた左近の頭に手を翳した。
額に出来てしまったほんの一寸ほどの傷ではあったがそれはきれいに消え去った。
「ありがとうございます、三成さん」
姿は見えないが不意に触れた優しい風と桜の香りに三成が何かをした事を察して左近が礼を言う。
やはりと言うべきか、三成は不機嫌な顔をして再び大きな枝へと戻ってしまった。
さて置き、本来の目的を思い出した吉継は一先ず三成は放置して左近に視線を落とす。
「ああ、そうだ左近。探していた男が帰ってきた。今日はそれを知らせに来たのだった」
"探していた男?何だそれは。聞いておらぬぞ左近"
その男こそ、近頃左近が頻繁に村に通う原因だった。
長らくこの木を見てきて、今年ほど花の時期がずれた年はなかった。
寒い年などは開花が遅れたこともあったが、それでもせいぜい五日六日、長くかかって十日程の事だ。
村の桜はすでに散り初めだというのに、三成の木はもうひと月近くも蕾が大きくならない。
もしや木に何かあったのではないかと心配になった左近は、解決方法を探るべく村にある造園屋界隈を訪ね回っていた。
すると木の手入れの方法の他に、噂に聞いたのは秀吉の邸宅の庭師をしている男の話だった。
何でも植物の言の葉を読めると豪語するその男は、滅法変わり者ではあるが腕は確かで何度も秀吉の我儘な希望も叶えてきたのだという。
秀吉の大切にしていた枯れかけの木を再生させたこともあると聞き、左近はその男にこの木を診てもらいたいと願っていた。
男は冬の間は村を離れているとのことで、こちらに戻れば連絡をと吉継に頼んでいたのだ。
だが肝心の三成本人がここに見知らぬ人が入ることを良しとせず、頑なに断ると見込んで話さないでいた。
案の定自分の事なのにこそこそと卑怯だと怒りを露わにしたが、左近は絶対に譲らなかった。
「それで?」
「今日は別の仕事があって来れないが、明日には来られると言っていた」
"俺は良しと言ってはおらぬ!"
聞こえているはずの声を無視して話を進められ、すっかりと臍を曲げてしまった三成は、吉継も見えない程に高い枝へと上ってしまった。
だが梢から袂が見えていて、姿を消さないあたりにまだこちらを気にしているようだと思わず笑いそうになる。
「左近、三成が拗ねている」
"拗ねてなどおらぬ!!俺は勝手をされ怒っているのだよ!!"
頭上遥か上から届く抗議の声は童子の拗ねはたばるものそのもので何の説得力もないと、左近と吉継は顔を見合わせ無言で笑いあった。



翌日、さくらに導かれ意気揚々とやってきた男が噂に聞く男とは俄かに信じ難い。
そう不安がっているのは三成だけでなく左近も同じのようで、微妙な表情を浮かべて木の上から男を見下ろしている。
三成に至っては不安のあまり、数年振りに清正達の姿をその目で見られた事を喜ぶ暇もないようだ。
だが皆がこの男で間違いないと言うので信じるより他ないといった様子だった。
「おお!何と立派な桜であるか!愛に溢れているようではないか!なあ幸村!」
「はい!私もそう思います!」
古い大樹に興奮したように上がる声に同調するのは幸村だけで、吉継始め他の者は少し距離を置き眺めるにとどまっている。
だがそんなことはいつもの事だと気にする風もない。
植物と愛と義をこよなく愛するこの男は直江兼続といい、実家は越後を本拠としているのだが今は親元を離れ秀吉邸の庭師をしつつ、この地の緑化と環境整備に勤しんでいる。
悪い男では決してないのだが、常時が常時この調子な為にまともに話し相手となれるのは波長の合う幸村ぐらいのものだった。
「本当に美しい木だ」
清正や正則にはただの古木としか見えない木も、兼続には何かが伝わっているのか、枝ぶりを見上げながら嘆息を漏らす。
だが一点を見つめ、とんでもない事を言い始めた。
「おいお前達!そんなところにいては危ない!さあここへ来て共にこの素晴らしい木を愛でようではないか!」
兼続の言葉に驚いているのは三成達だけではない。
吉継も珍しく表情に驚きを乗せ、天を仰ぐ兼続に視線を向けた。
「何だ?どうした吉継殿」
「いや……見えるのか?」
お前達、と言っていた。
今は左近も姿を現していないから、ここにいる中で二人の姿を捉えられているのは吉継だけのはずだった。
だが兼続もまた吉継と同じ場所に視線をやり、手招きしてここへ来るようにと促している。
しかし胡乱げな表情が三成の心情を如実に表していて、案の定の言がその口から飛び出した。
「吉継、その五月蝿い奴は本当に信に足る男なのか?」
「五月蝿いとは随分な言い分だな!あの男は何者なのだ?」
何者かと尋ねられ答えに窮した。
吉継自身二人の正体をまだ知らないのだ。
ただ、他の者には見えることのない人ならざる者としか。
だが会話は成立していて本当に見えているのだろう。
清正達の表情から察するに、誰にでも三成達が見えるようになったわけではなさそうだ。
本当に兼続だけが見えているのだろう。
黙ったまま動かなくなった吉継に、何か言い辛い事でもあるのかと察したらしく兼続は笑みを見せると話を切り替えた。
「まあ良い!とにかく、まずは木の状態を見よう」
それまでの饒舌が嘘のように静かになり、真剣な顔で木の診察を始めた。
しばらく木の周りをうろうろと見て回り、幹に触れ、根元の土を調べ、何かに納得したように頷いた。
「うむ、栄養不足と寒さ、それにこの苔と茸の所為だな!幸村達は村に戻って藁と縄、筵と……梯子と肥料と害虫駆除の薬を持ってきてくれ。店の者に言えば道具も全て揃えてくれるだろう」
「分かりました!参りましょう清正殿、正則殿」
幸村達が言われた物を取りに戻り、ひと時静寂が生まれる。
だが兼続が腰にぶら下げた道具袋から鉈を取り出し、幹に当てがうのを見るや否や、今度は三成が騒ぎ始めた。
「おい!何をする!」
突然目の前に現れた三成に驚くこともなく、兼続は鷹揚に笑い声を上げると三成の肩を叩いた。
「心配するな!この苔と茸を落とすだけだ。これらが木の栄養を吸ってしまっているからな。それに黴や虫の温床にもなって木の為にならんのだ」
「……そうか」
「池がすぐ側にあるせいかここは湿気が多いようだ。だが小まめにこうして手入れしてやれば、ちゃんと花を咲かせるぞ!」
口だけではなく知識も技術も充実あるようで、何より植物を愛する思いが丁寧な仕事ぶりから伝わってくる。
ようやく三成も左近も信用したようだと吉継はホッと胸を撫で下ろした。
「手伝いましょうか?」
「おお、それは助かる!共にこの木の為力を尽くそうではないか!」
唐突に現れたはずの左近にもさして疑問を持っていないようで、兼続は左近に道具を貸し与えると再び作業に没頭する。
そうして四半刻ほど過ぎた頃、幸村達が道具を抱えて戻ってきた。
「兼続殿!持ってまいりました」
「待っていたぞ幸村!」
いつもそうしているのか力仕事を清正や正則に任せ、兼続はてきぱきと指示を出していく。
木の幹に薬を塗布し、根元が冷えると花は春を感じられずに花を咲かせないのだと言い、肥料を与えた上に藁や筵を乗せて熱が逃げないように施した。
「さあ、こんなものでいいだろう。皆の愛と気概ですぐこの木も花を咲かせるぞ!」
愛と気概がどう関係しているのかは解らないが、手入れをしたことで間もなく花を咲かせるだろう。
皆一様に空いっぱいに広がるように枝を伸ばす桜を見上げる。
幸村は懐かしく思い、思わずといった様子で口をついた。
「三成殿、左近殿。約束を果たしていただきありがとうございました」
「約束?」
何の話だと首を傾げる三成を見て、吉継が代わりに尋ねる。
「はい。私はどうしてもお二人の記憶を無くしたくはなかった。お二人はこの森から帰す者の記憶は消し去るのだと仰っていたのですが……何があろうとも失いたくないから奪わないで欲しいと、そう願ったのです」
「何だよずっりぃなー幸村だけよー。俺だってここに来たことあったはずなんだぜ?でもちーっとも覚えてねえんだよな」
正則の恨み節に美麗な顔を歪め、見えないと分かりながらも三成が目の前に仁王立ちする。
「お前がいては五月蝿くてかなわんのだよ。忘れていて丁度良い」
「あ!何か今悪く言ったろ!おい!出てこい!!」
「ふんっ、勘働きは獣並みだな」
「また悪く言いやがったな!!」
正則には姿が見えないというのに会話が微妙に成立している。
呆れながらも感心している吉継の側に左近が寄ってくる。
「この二人、案外気が合うのかもしれませんね」
「子供の言い合いのようだがな」
一人喋る吉継に怪訝な顔をする清正と、少し淋しげな表情の幸村が怒り心頭の正則を宥める。
その横をすり抜け兼続が左近に近付いた。
「それにしても……私も初めて見る種類だ。山桜の古代種か……蝦夷桜……でもなさそうだ。各地で様々な桜をこの目で見てきたが、この種はどこにもなかったぞ」
「……でしょうな」
左近の言葉に不思議そうに首を傾げるが、兼続は気にせず木を見上げ続けた。
千年も昔からある桜が他にも残っているとは思えない。
人も獣も住まないような山奥ならいざ知れず、このように人里近くにはもう残ってはいないだろうと左近は思っていた。
つまり、三成の木がなくなればこの世からこの種がなくなるという事。
例えば他の場所からこの種を持ってきて三成をその木に移す、などという事が出来るのかは解らないが仮にそれが可能だとしても、そもそもこの種を見つける事は叶わないだろう。
この木を大切にすることが三成を"生かし"続ける事に繋がる。
その為にも兼続の存在は必要不可欠となるわけだが、万事がこの調子では三成と仲良く出来るかどうか怪しいものだと気が重くなっていった。


【続】

 

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