海神の国
天下を治めた家康が各国を巡覧する中で土佐を訪れるとの知らせが入った。
殺したい程に憎んでいた相手であった為心配していたが、三成は表情を変える事無くそうか、と呟くだけだった。
あれ程までに、何もかもを犠牲にした上でもその首を上げんとしていたはずなのにと元親は首を傾げる。
彼の中で何か思うところがあり、そしてそれは自分には解らない次元の事なのだろうと少し寂しい思いがした。
だが一つ言えるのは、何かを我慢したり、言いたい事を飲み込むような姿は見たくないという事だ。
直情のまま、心のままに生きてこその三成だ。
たとえそれで、彼が、周りが、傷付く結果となったとしても、三成は三成らしくあってほしいと元親は願っていた。
「おう石田!これから釣りに行くんだが一緒に行くか?」
丁度屋敷の廊下を歩いている三成を掴まえる。
面倒だと言われるかと思ったが、特に表情を変える事もなくふんと鼻を鳴らして目を伏せる。
「石田?」
「貴様の好きにしろ。私に拒否権などない」
「おいおい、そんな強制したってしょうがねえだろ。俺はあんたが行きたいか行きたくないかってのを聞きたいんだ」
今までの三成であれば何故自分がそんな事をと辛い一言を漏らしていたはずだ。
それが従順を示す言葉で素直に従うなど、言葉は悪いが不気味とすら感じる。
以前ならば平素でさえ抑えきれない程の、鋭く炎のような感情に渦巻いた瞳が見られない。
あの日死んだ『凶王』と共に石田三成もすっかりと眠りに就いてしまったようだった。
「どうだ?石田。一緒に行くか?」
だがそんな事など関係ない、眠っているのならば彼らしい彼に戻るように叩き起こすまでの事。
元親が笑顔でそう尋ねると暫く思案する様子を見せ、黙って頷いた。
快いとは言えないが、良い返事を受けた元親は三成を連れ出す。
そして浜へ出てよく魚の釣れる場所まで行くと手にした釣竿を三成に渡した。
元親は早速餌を付け海面に向け糸を飛ばす。
「ん?何だどうした?餌ならそこにあるぜ」
道具は全てあり、あとは海に糸を垂らせば釣りは出来る。
しかし釣竿を渡された時の姿でじっと突っ立ったままの三成を不思議に思う。
「何だよ、まさかやった事ねえのか?」
手にしていた釣竿をくいっと引き上げる仕種を見せると三成はふいっと視線を逸らす。
「何だあ?それならそうと早く言えよ」
大きな笑い声を上げると元親は三成の手にあった竿を取り上げ慣れた手付きで餌を付けて渡すのだが三成は受け取ろうとはしない。
嫌がっているわけではなく、どうすればいいのか戸惑っているのだとその表情から察した元親は、竿を振り糸を海へと投げ入れた。
そしてそれを三成に渡し、持っているように言う。
「……これは……どうなればよいのだ?」
「魚が食い付きゃ糸が下がるからよ、それを見計らって竿を上げんだよ。こんな風に、な!」
丁度自分の竿がしなるのを確認すると元親は威勢よく竿を引き上げた。
すると針先に食い付いた魚がぴちりと撥ねる。
大した大きさではなかったが、三成はその様を珍しげに見て目を瞬かせていた。
「おいおい、人が魚釣るの見るのも初めてかよ」
文句あるかと睨む瞳にかつての殺気はない。
ただ拗ねた子供のように目を細め凝視しているだけのように見える。
こんな風に表情に感情を押し出した三成を見たのは本当に久しぶりだった。
それが嬉しくてならないのだと元親は三成の髪を掻き交ぜる。
「―――っ、やめろ長曾我部」
「おう、いい調子じゃねえか石田。そうやってもっと前見てよ、言いたい事言ってやりたい事やって。そんで―――……」
その時、不意に過ったのは大谷の言葉だった。
ぬしは三成を殺すか、否か。生かすのであれば、我はぬしにあれを託そう、と。
その言葉を思い出し思い止まったがうっかりと言いそうになってしまっていた。
三成にとっての禁句を。
彼を殺してしまう、その一言を。
「……長曾我部?」
突然黙り込み、思いつめた表情を見せる元親を訝り、眉を顰める三成を安心させるように笑みを見せる。
「いや、何でもねえ……って―――おい、掛かってんぞ!」
「何っ」
手にかかる重みに耐えられず、三成は糸の動きに振り回されている。
そのあまりの様に堪えきれずに噴き出すと、今度は先程よりも怒気を含んだ瞳で睨まれた。
「傍観するな!何とかしろ長曾我部!」
「自力で釣り上げんのが醍醐味だろ。頑張りやがれ!」
「何だと!!」
からかうように言うと怒りに任せ竿を振り上げる。
途端にかかっていた魚が逃げていくのが解った。
「くっ……!」
悔しそうな表情を隠さず肩を震わせた後、三成は黙って餌入れに手を伸ばし針に付け始める。
そしてたどたどしい動作で糸を海へと投げ入れた。
楽しそうというより今はむきになっているだけなのだろうが、感情を無表情に押し込めている姿よりもずっといい。
元親は手にしていた竿をもう一度海に垂らし、三成の隣で魚を釣り上げた。
「俺はもう二匹目釣れたぜー?」
「何っ?」
「んな殺気だらけでやってても魚は寄って来やしねぇよ。もっと穏やかに待ってろよ。な?」
水面を睨みつける三成の肩を叩き、気持ちを落ち着かせようとするが相変わらず殺気だらけのままだ。
だがそれでも、と元親はからからと笑い始める。
「楽しいな!石田!」
勢いよく背中を叩き、肩を組み体を引き寄せる。
嫌がられるかと思ったが、三成はされるがままに元親に体を寄せた。
その横顔はどこか穏やかで、無理矢理にだったがここへ誘ってよかったとこっそり笑んだ。