病葉
元親の屋敷にはごく限られた人間にしか知られていない牢があった。
かつて戦の世であった頃には捕虜などを捉えていた場所だ。
そこには今、天下分け目の影の首謀者でもある男が入っている。
大多数の臣下は知らない、世話役の数人だけがその存在を知らされていた。
何故なら彼は、すでにこの世にない存在だからだ。
元親は己の行動の真意は未だ理解出来ていなかった。
あれ程までに憎んでいた相手であった筈なのに、人知れずここへと運び、助命した。
そして今でも理由は分かっていない。
だが一つ言える事は、その直感に従い、それは間違ってはいなかったという事だった。
三成には彼の存在が不可欠だ。
それは彼自身の為、というよりは彼の扱いに長けていない自分自身の為だった。
三成は想像以上の扱い辛さであった。
性格や彼の苛烈さが、ではない。
もっと根本的な事が問題なのだ。
「相変わらず手を焼いているか、長曾我部よ」
引きつったような独特の笑いを漏らすのは大谷吉継。
かつて三成を補佐し、天下分け目の合戦を起こさんとした張本人だ。
大坂城で仲間の仇と彼を討った。
だが思うところがあり、虫の息だった大谷を秘密裡に連れ帰り介抱した。
強大な水軍を保有する長曾我部軍は、海の上での戦に備えて良い薬師や医師を揃えている。
その為瀕死の大谷を快癒させる事など造作もない事だった。
尤も、かなりの深手であった事と病に身を落としている大谷が完全に回復する事は難しいだろう。
今は近いうちに、いずれやってくるであろうその時を静かに待っているだけだ。
元親もそれを解ってか大谷を過度に責める事はせず、今は専ら三成の話を聞くばかりだった。
三成は自らを語らない。
全くといっていい程に己に興味を持たない彼から、彼自身の話しを聞く事は難しい。
だから三成以上に三成を知る大谷を頼っている。
始めははぐらかされるかと思っていたが、大谷は驚く程素直に応じた。
一度死に、そして今また死期を悟り、今更己を虚偽に染めたところで何の利もなしと大谷は静かに語った。
その姿は恐らく、病を帯びるより以前の彼の真なる姿なのだろうと元親は受け取った。
そしてそんな彼に三成は全幅の信頼を寄せていたのだ。
死を呼ぶ病と皆に恐れられ、人としての扱いを受けられなくなった大谷にとって、以前と変わらず接してくる三成の存在は光りであったに違いない。
そんな彼を大切に思う気持ちは元親にもよく理解出来た。
「三成は己に執着がない故少しでも放っておけば命を落とすぞ」
「わーってるよ」
「約定を忘れてはいまいな?」
「……ああ」
その約束事に対して元親は全く納得はしていなかったが、命を脅かすような言葉を吐かれてしまっては頷くより他なかった。
眉を顰め、納得いかないと表情を見ると大谷は静かに、だが強く言った。
「その言の葉は決して出すな。それは三成を殺すものよ」
「ああ!解ってる!!」
「ヒヒっ……そう不機嫌になるな長曾我部よ。あれは決してぬしを裏切る事はあるまい」
揶揄するように言う大谷であったが、それは元親自身も確信していた事だった。
三成は何があろうと心を許した者を裏切る事はない。
だからこそ部下にもあのように自信を持って言えていた。
あいつはどこへも行かない。
絶対に自分達を裏切るような真似はしない。
そう信じる事が出来た。
だがそれは本当に三成の為になる事なのだろうかという疑問は常に付きまとっている。
彼にとってここは心安らぐ場所ではないはずだ。
唯一と言える友を奪った相手のいる場所で、ただ裏切りへの罰を受ける為に生き続けている彼には。