羅刹の国
四国へ来て以来、三成はよく長曾我部の屋敷から姿を消していた。
その度に部下は大騒ぎをして探し回っていたが元親は何事もなかったかのように笑って大丈夫だという。
そしてふらりとどこかへ行った後、必ずどこからか連れ戻してくるのだ。
からからと笑い、鷹揚な態度に感化されたようでいつもは鋭く尖ったような態度を取る三成も元親が側にいる時は少し穏やかな表情を浮かべている。
彼の傷つけた四国と、全てに傷つけられた彼。
その全てを受け入れた元親の考えは正直誰にも解らなかった。
だが、少しずつこうした表情を見せるようになった三成を見て、誰もがこの結果は正しいものなのだと信じていた。
「アニキー!!大変っす!!」
「おう、どうした。また石田が消えたか?」
「は、はいっ!屋敷のどこにもいねぇんっす!」
いい年の男が五人であれやこれやと心配する姿に元親は思わず苦笑いする。
あれ程までに豊臣憎しと息巻いていた連中だったが、三成がここへ来て以来すっかりと態度を翻していた。
それはまるでいう事を聞かない子供の心配をする親のようだと思う。
「ああああアニキぃ……どどっどうしましょう…三成さんに何かあったら俺ら……」
「あいつは何処にも行かねえよ。心配すんな。そのうちひょっこり帰ってくるって」
「けど……」
「そんなに心配なら迎えに行ってやんな。あいつならきっとあそこだ」
元親は部下に心当たりを告げると政務へと戻ってしまった。
アニキは心配じゃないのか、と皆は眉を顰める。
だが三成の事に関しては彼に任せておけば問題などないと、部下らは言われた通り海の見える丘へと駆け上がった。
元親の言葉通り、三成はそこにいた。
切り立った崖から少し離れた大樹の根元で、海を臨むように座っている。
誰が見ているわけでもないというのに背筋を伸ばして姿勢を正し、ただじっと水面を眺めている三成に恐る恐ると近づく。
「あのー……三成さん……?」
「どうした。長曾我部が呼んでいるのか?」
「い、いえ!三成さんの姿が見えないんで俺ら心配になって……」
それまで穏やかだった空気は一変し、剣呑な雰囲気となった。
「心配などせずとも私はもう何もしない。貴様らにも、この地にも」
その眼光だけで殺してしまいそうな程鋭い三成の視線に、元親の部下は一斉に身を震わせる。
それは誤解なのだと説明したいが上手く言葉にする事が出来ず、固まったまま動けなくなってしまった。
そんな姿の男達に一瞥もくれずに三成は静かに立ち上がる。
そのまま立ち去ろうとするが彼らの肩越しに見える影に気付きその場に留まった。
「こいつらが心配してんのはそんな事じゃねぇよ」
「あ、ア、アニキ!」
元親がやって来た事に安堵する男達は、彼の影に隠れるように後ろへと下がる。
元親と対峙しても三成の眼光は衰えなかった。
戦場で見せていた姿と何ら変わりない。
ただ一つ違う事は、あの頃は常に傍にあった刀が手放されている事だろう。
三成はあの日以来、刀を置いた。
事の全てを知り、人を斬る事を辞めたのだ。
だが獲物はなくとも全身に纏う凶器のような空気は健在で、直ぐに喉元に飛び掛かり、噛み切るぐらいは造作もないように思える。
しかし元親はそんな三成に対しても警戒心なく近付き、にっと笑みを向けた。
途端に三成の周りにあった鋭い空気が一瞬緩んだ。
ほんの一瞬、本人も無自覚であろうその刹那は偽りの友情を築いていた頃と変わらないものだった。
「野郎共はお前が何かしようなんて思っちゃいねぇよ。ただお前が心配なだけだ。お前が何かしそうで心配してんじゃねえ」
元親の言葉を理解出来ないのか、三成は眉を顰め僅かに首を傾げる。
何を言っているのだ、と隠されない表情に元親から思わず笑いが漏れた。
「石田。俺達はただお前を心配してるんだ。辛い思いはしちゃいねえか、悲しい、苦しい、痛いと思っちゃいねえかってな」
漸く自分に向けられている思いの真を知った三成は、何故かますます険しい表情となった。
「私への心配など無用だ。私の事など捨て置け」
「そうはいくかよ」
横をすり抜けその場を立ち去ろうとする三成の腕を慌てて掴み引き止める。
そのあまりの細さに今度は元親が眉を顰める番だった。
また細くなってやがる、と心の裏で舌打ちを漏らす。
「石田、あんたはもう俺らの大事な仲間なんだ。心配して当然だろうよ」
「この期に及んでまたその諫言か」
もう聞き飽きたと三成は腕を振り払いその場から立ち去ってしまった。
残された元親はおろおろと心配そうな部下達を笑顔で励まし、屋敷へ向かい歩き始めた。